1.このサイトについて
管理者名: gans(ガンズ)
相撲観戦歴は昭和61年頃からで、その頃から過去の星取表を調べはじめました。
データ量はノート十数冊分になりましたが、手書きもありワープロで打ったものもあり、
書式もあまり統一していなかったので、パソコンで打ち直してまとめてみようと思った
のが最初です。どうせ作るのなら誰でも閲覧できるようにしても良いかなと思って
2003年頃にサイトを立ち上げました。江戸時代から現在までの星取表をひとつにまとめた
データサイトとしてこれからも相撲好きの方々の少しのお役に立てれば幸いです。
2.星取表について
大相撲の開催方式や番付編成の方法、力士の往来など、長い歴史の中でかなりの変動を
経ているため、統一したルールで星取表をまとめるというのは、難しい点がいくつも
あります。各時代の注意点についてはまた別でまとめておきますが、ここでは全体的な
ことについていくつか書きたいと思います。
(1)凡例
- 色別に分けて優勝、優勝次点、三賞、新入幕などを表示しています。
明治42年夏場所に国技館開館・優勝掲額が行われる以前は、優勝制度が無かったため
「優秀」と表記して区別しています。
「優秀」力士に関しては、勝ち越し点数(白星数−黒星数)により判定し、同点の場合は
番付上位者が優先。ただし現在と違って東が上位という決まりが無かったため、同じ地位の
東西が並んだ場合は2名とも優秀として扱いました。この場合、次点者は優秀同点者のみと
しています。 - 勝敗については、
○:勝ち ●:負け □:不戦勝 ■:不戦敗 や:休み
×:引き分け(痛み分けを含む) △:預かり ム:無勝負
と表示しています。 - 明治42年夏場所の優勝制度確立以降の星取表では、表の左上の数字にマウスを合わせると
各日終了時点での個人成績上位者が表示されます。
紫文字が横綱、緑文字が大関、赤文字は優勝決定時を表しています。 優勝可能性の有無に関わらず原則として三番手グループまで、最終2日間は二番手グループまで
表示しています。人数が多すぎる場合は一部省略してあります。
JAVA SCRIPT を使用していますので、ブラウザ設定によっては表示されない可能性があります。
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分け |
ある程度の時間を費やしても勝負がつかなかった場合(引き分け)と、取組中の負傷など |
預かり |
きわどい勝負となって物言いがつき、判断が難しい場合。その他、もめて決着がつかない |
無勝負 |
きわどい勝負となって、行司が初めからどちらにも軍配を上げなかった場合。明治時代 |
休み |
ケガや病気による休場の他、昔は対戦相手が休場することでも「休み」になっていました |
12 | 13 | 14 | 千 |
(2)場所の名称
場所の名称については、「五月場所」「十一月場所」など、開催月で呼ぶ方法もありますが、
各星取表のページでは季節名で呼ぶ方法を採用しました。理由は、現在の大相撲開催において
一般的に普及している呼び方であることと、数字で呼ぶよりも風情があると思ったからです。
(3)十両、幕下
- 十両は元々は幕下(二段目)との区別がありませんでしたが、明治21年からは上位十枚目まで
番付面に太字で書かれるようになり、他の幕下力士との区別がされるようになりました。
このサイトではこれ以降を十両と表記しています。 - 幕下については戦後のみ、上位15枚目までを参考に載せてあります。不戦勝・不戦敗も○●で
表示しています。
(4)改名
番付上、改名があった場所にて表示しています。力士名に括弧が付いているのは番付発表後や
場所中の改名で、番付上での改名は翌場所ということになります。
(5)引退、廃業、脱退など
- 幕内経験のある力士については、力士をやめた場所でその旨を表示してあります。一般的には
平成9年11月頃より「廃業」という言い方は廃止されたのですが、ここでは
*年寄または世話人、若者頭などで大相撲界に残るケースを「引退」
*大相撲界に残らないケースを「廃業」
で統一しました。 - 「脱退」については、東京での大相撲開催には出ず、他の都市(京都、大阪)での相撲に参加
していたケースです。ただし、江戸時代については消息のはっきりしない力士も多く、三都以外の
九州や東北などにも相撲団体があったため事情が複雑で、いまひとつ明確にはならない部分がある
ことをご了承下さい。 - 引退、廃業、脱退などについての表記は、
力士名(年寄名、→新入幕場所・新入幕時のしこ名)という形にしてあります。
例: 若乃花(藤島、→2秋・若花田)
(6)力士名の表記
力士名の漢字表記についてはなるべく番付表に書かれた通りにしたいと思っていますが、
パソコンで表示できる漢字には限りがありますので、あまり厳密にこだわってはいません。
特に江戸時代の番付表は表記がまちまちですので、完全に再現しようとこだわり始めるとキリがなく、
作業も難航することになるため、一般的な漢字をあてていることをご了承下さい。
現代でも、パソコン上で区別して表示するのが難しい漢字(点つきの「曙」、琴ノ若の「若」など)
がありますが、一般的な字で表記しています。よう司の「よう」などは機種依存文字を使用しており、
環境によっては表示されない可能性がありますのでご了承ください。
3.各時代について
(1)江戸時代
- 番付編成
- 取組編成
- 看板力士
- 開催日数について
場所の成績だけでなく年功がより重視されていたようで、あまり急激な昇降はありません。
東西の移動もあまりなく、東は東、西は西で主に編成が行われていました。
また江戸以外の相撲団体からの参戦があった場合、いきなり幕内へ付け出されるケースが多く、
逆に藩の事情などで全休することが前もって分かっている場合は、番付に最初から名前が載らない
こともあり、力士の出入りに関しては複雑なところがあります。
張り出しは一部の例外のみ適用され、欠場予定で番付から外れたものの急に出場が決まった力士や
土俵入り専門力士など特殊なケースに限られます。
最高位は大関で、横綱免許力士も番付上は大関です。
現在と違って、番付の東同士、西同士は対戦しません。この制度はずっと残り、昭和になって
戦後間もなく廃止になりました(昭和戦前にも一時廃止されていた時期あり)。
幕内に付け出される力士の中には、江戸以外の相撲団体で修行をしてそれなりの力を
持っている者もいましたが、その力が無く、本場所で相撲を取らない力士もいました。
特に大関に付け出される力士には実力よりも体格の立派さ、話題性などが求められ
「看板大関」などと呼ばれています。ちゃんと相撲を取る力士として再スタートする場合には
幕内下位や二段目に落とされるのが通例となっていました。
このサイトでは看板力士として色分けをしていますが、これは分かりやすさを求めたための
独断であり、必然性はありません。
大関に付け出されても、初日から出場して星を残した力士もいるので明確な線引きは
しにくいですが、ここでは「付け出されたものの、ほとんど出場しなかった」 あるいは、
「翌場所以降に大幅な格下げをされた」ことを基準に看板力士と判定しています。
また、幕末期には年齢のいかない巨漢の少年、いわゆる「怪童力士」が土俵入り専門として
張り出されることがありました。
宝暦〜安永6年までは晴天8日間(たまに9日間の場所もあり)、安永7年以降は晴天
10日間になります。寛政の初め頃からは、千秋楽に幕内力士が出場しないケースが多くなり、
文政の後半には千秋楽はほとんど二段目以下の力士のみで行われることが定着し、明治末期まで
(国技館が出来るまで)の通例となります。
(2)明治時代
- 開催日数は10日間。42年の国技館開館以降は、千秋楽にも幕内力士が出るようになります。
- 新暦導入により、明治9年から12月(冬場所)→1月(春場所)4月(春場所)→5月(夏場所)
と呼び名が変わっています。 - 明治15年から本場所成績を重視した番付編成が行われるようになり、年功序列がだんだんと
なくなります。また、23年夏場所より番付上に「横綱」と書かれるようになります。この頃から
「三役は東西に1名ずつ」という原則が崩れ、張出が普通に用いられるようになります。 - 不戦による「休み」は、当時の新聞記事より記録を調べることが出来ますが、このサイトでは、
13年夏以降を調べて表示しています。 - 42年夏の国技館開館以降、昭和の終戦頃までは、本場所は東西対抗戦の形を取っており、個人の
優勝争い以上に注目されていました。これは東方幕内力士の白星数合計と、西方幕内力士の白星数合計
との争いで、勝った陣営の関脇以下で最も成績の良かった力士は、優勝旗手としての栄誉を受けました。
(3)大正時代
- 開催日数は10日間。12年夏場所からは11日間になります。ただし関東大震災の影響で
名古屋開催となった13年春場所は10日間です。 - 取り直し制度が導入され、預かりという裁定が減ります。
(4)昭和時代
- 開催日数は戦前の双葉山人気により15日間にまで延長。太平洋戦争による混乱期を経て、戦後
ふたたび15日間に統一されました。 - 引き分けや預かりの裁定が少なくなり、不戦勝制度も導入されます。このサイトでは、「休み」の
定義がはっきりする昭和3年以降については休みの日数を表示しています。 - 昭和2年〜7年の3月場所と10月場所は関西などで開催された地方本場所で、東京本場所の番付を
そのまま使い、東京本場所と地方本場所の成績を合計して翌東京本場所の番付編成の材料としました。
過渡期として、2年10月と3年3月は、地方本場所だけの独自の番付編成を試行しました。
(参考図) - 戦後になって、年に2場所だった本場所開催が徐々に増やされ、年6場所にまで増えました。
- 昭和22年秋場所から東西制の廃止と三賞制度の導入、昭和40年に部屋別総当たり制となって
現在に至ります。
4.参考文献
- 参考文献は、かなり以前に図書館で利用して書名を覚えていないものもあり、一覧を作りにくい
のですが、わかる分だけ以下に記します。
*日本相撲史上巻 酒井忠正著 ベースボールマガジン社
*日本相撲史中巻 酒井忠正著 ベースボールマガジン社
*昭和の大相撲 昭和の大相撲刊行委員会編 TBSブリタニカ
*大相撲人物大事典 「相撲」編集部編 ベースボールマガジン社
図書館で参照したもの
*近世日本相撲史1巻〜5巻 日本相撲協会編 ベースボールマガジン社
*明治の読売新聞CD−ROM 読売新聞社
*大正の読売新聞CD−ROM 読売新聞社
*各種新聞縮刷版
*その他、相撲に関する雑誌や文献 - また、相撲博物館の草野えり様より、疑問点にお答えを頂きました。ありがとうございました。