明治32年夏場所開幕せず その3(朝日新聞/明治32.5.23)
○大角觝大紛議の続聞
・毎号連載してその真相を報道しつつある同紛議につき前号欄外に記載せし分は洩れたるもあるべければ更にこれを再録す。
・紛議事件欄内記載後の模様を聞くに、仲裁員諸氏は東方小錦、朝汐、逆鉾、源氏山、常陸山、西方大砲、梅ノ谷、荒岩、鳳凰、谷ノ音の十名に対し各自より申出でたる条件のうち検査役改選の事は協会の威信にも関する事なれば御身等が希望の通りには行かざれど、その他の件は折合を付くべければ当大相撲の終わるまで仲裁者に一任せよと諭したるに、力士等は自己等の一存にも行かざれば仲間一同へ相談の上お答え申すべしとて引取りたるより、仲裁員は更に協会員四名を呼びて前記の旨を告げたる所、協会員一同は何分宜しく願うと申出たるにぞ、仲裁員は力士等の返答を今や遅しと待り居る所へ力士出来山長吉、行司木村進の二人総代として出頭し、御仲裁の趣き一同へ申し聞けたる所、御尽力は宜しく願いますが検査役を改選せねば相撲は取らぬと申します、と曖昧なる返答を為して要領を得ざるより、市川署長は単身にて東西力士が集合し居る柳橋亀清楼へ出張し種々説諭を試みたれどなお要領を得ず、結局後刻返答すべしとの事にて同署長は帰署されしが、暫時にして力士大見崎、行司木村進の両人総代として再び本所署へ出頭したれど、その返答強硬にして折合う気色なかりしかば、協会より雷権太夫、阿武松緑之助、根岸治右衛門の三名を呼出し力士の申出でについて種々懇諭ありしかど、これまた固くとって動かず力士の方はあくまで検査役を改選せしめんと主張し、協会はこれに応ぜず双方とも容易に折合の付く模様なかりし、よってなお引続き仲裁に尽力中なれど到底昨夜中には纏まる様子なかりしという。
・さてその後の成り行きを聞くに、一昨夜またまた市川署長、室田景辰、伊志田友方の三氏は力士総代として来署せし大見崎、小松山、不知火の三名に向かい先刻協会の取締役検査役等を招きて厚く諭したるところ、我等の内訌のため各閣下の御心労を煩わすは万々謝するの辞なし、この上は閣下の御意見に従わんが検査役改選の事は規約の訂正を致さざる以上はみだりにこれをなす能わず、他の条件はとくと協議の上あるいは譲歩する事もあらんとの話しなり、よって汝ら力士に於ても協会員の意を酌みて先づここは我々仲裁者に任すべし、検査役改選条件のほかは我々が誓って満足を与うベければ速やかに和解して初日の興行を始むるが互いの利益にあらずやと、且つなだめ且つ諭し利害を説いて聞かせしが、三名の総代ら異口同音に実は我々力士方にても他の条件は先方へ譲るとも改選の事だけは是非初一念を達し得るよう仲裁の御方に願って来いと申されし程ゆえ、只今の御諭しについては御即答いたしかねます、いづれ明朝稽古前に相談して御確答申すべし、とそのまま引取りしは同夜十時半頃なりしが、仲裁者三氏はそれよりまたも雷、阿武松、根岸等の役員を呼び寄せて条件譲歩の談判を遂げられしに、条件中の一二は取締役一存にては越権に当たるかどもあれば一応他の役員にも協議の上とてこれまた曖昧の返答にて立ち帰りしは既に昨午前一時三十分頃なりき、かくて力士の面々は昨朝各部屋に集まり、稽古も打捨て又は両国中村楼に会して相談中、市川署長等三氏はいつ迄も総代にては埓あかねば直接に申聞かせんとて高砂部屋及び中村楼へ特使を派し一同を招きしより今はよんどころなく朝汐、逆鉾、源氏山、鳳凰、梅ノ谷、常陸山、荒岩等の面々車を連ねて本所署へ出頭し、源氏山が口を開きて前記総代力士の述べしと同様なる文句を並べ立つるに、仲裁三氏も持て余しかくては到底果てしなし、我々は斯道のため種々尽力するものにて自己の利益あるにあらず、汝等も少しく道理を顧みなば頑固をのみ云い張るべき機会にあるまじ、と諭されしより一同もやや我を折りて、しからば午後二時迄御猶予ありたし今一回熟議の上、御確答申さんとそこそこに引取りしも、元より力士の集合とて会議も相談もあったものにあらず一人が賛成と云えば左様だ左様だと手を打ち、また一人が不賛成を唱うればそれも左様だと全体ことごとく不賛成となり、ただ訳もなく騒ぎ立つばかりなり。
・一方には仲裁者三氏も百計尽きて、この上は協会に無関係なる千賀ノ浦羽左衛門に命じ調停せしむるも一策ならんと直ちに同人宅へ使者を走らせしが、同人は昼飯後酒気を帯びて出頭して署長の命を承諾し、及ばずながら仲裁を試みんとて立ち帰りしあとへ力士総代として行司木村進出頭し午後二時最後の確答すべき筈なれど今しばし御猶予を乞う、と述ぶるに三氏も是非なく午後六時迄延期せんがその時間を経過してなお確答なき時は我々も最早仲裁を謝絶し自今この道の保護をも致さざるべし、と厳達したるに、木村に大いに恐縮の体にて引取りたりというが、果して如何に成り行くやらん昨夕後の模様はなお後報を待って記載すべし。
・そもそも回向院大場所の興行は本所区内に影響を及ぼす事多く、付近の商人等は開場間際に高利の金を借りて仕込みをなすもあり、もし興行延引せばこれがため資本を全損し、また地方の観客は空しく旅宿にありて一日二日と滞留して遂には空しく帰国するもあり、その他一般観客の気組みをそぎてかれこれ無形の損害少なからねば署長等も自ら仲裁の労を執る次第なり、然るに力士等はただ頑迷の論を主張し協会また専横の議を固持して互いに譲る所なければ、結局大破裂を起こすのほかなく、その時は元より堅からぬ団体とて力士方は力士方で四分五裂し遂に東京名物の随一たる回向院の大相撲を見る能わざるに至らんかと同盟力士中にも内々悔悟し居るものあるとぞ、また協会役員等も力士の請求要件たる検査役改選は到底出来ず、さりとて我々が何の失策もなきに辞表を出すは残念なり如何すべき、と今更進退に窮し居る姿にて、独り呑気なるは井筒嘉次郎のみなりという。
さて名士3人が懸命の説得に当たりますが、なかなか解決しません。力士側の最大の要求は検査役の改選つまり辞任ということで、待遇改善などは無くても良いがこれだけは譲れないと言います。協会側も改選についてはいくら要求があったからと言って、規約も無視して簡単に辞めさせるわけにはいかないと言います。平行線のまま、元大関・大達の千賀ノ浦にも協力してもらおうと呼び出してみると酒気帯びで登場(;・ω・)大達らしいですが、協会に無関係と書かれているのはどういう事でしょう。年寄でありながら協会とは距離を置いた存在だったのでしょうか?
しまいには仲介役3氏も策が尽き、これ以上延びるならば後はもう知らん、相撲界への協力も今後しない!と最終通告をされてしまいました。それにしても記事にあるように、開催を見込んで動いている周辺業者や遠方からのファンも損害を受けて気の毒です。