○回向院大角觝の大紛議続聞(大角觝の無期限休業)
・昨二十日を以て初日を開場すべき回向院五月場所は、一昨日の午後に至り突然内部に紛議を生じ、午後四時頃より年寄雷、阿武松をはじめ検査役並びに東西両大関等浅草代地の小中村楼へ会し秘密会を開きしため、其の結果に依りては或いは初日の開場もいかに成り行くべきや覚束なし云々とは取りあえず昨紙欄外に特報したるが、昨日は遂に初日開場の運びに至らず、否昨日はおろか此の紛紜の氷解落着せざる限り三日五日十日も開場すまじく、すでに昨日のごときは幟をも立てず太鼓も打たず、さればかかる紛議のありとも知らで朝未明より押しかけたる観客等は回向院に至りて開いた口の塞がらず、小屋へ立ち寄りて差し覗けば場内寂々寥々としてあたかも暴風の吹き過ぎたる跡の如き観あり、その櫓下には「休業」の札を掲げたるにぞ、いづれも失望して悄然と立ち帰りたり、今この紛擾を醸したる真因及び続聞を記せば次の如し。
・さて其のむかし角力会所の存立せし頃筆頭、筆脇(即ち現今の取締及び副取締なり)組頭(即ち現今の検査役)なるものあり、常時筆頭筆脇の権力は実に飛ぶ鳥をも落すべき勢あり、力士は自然その権に圧されその威に屈し居りしほどにて、組頭の給料は金三十両(十日間)而して各地方へ出張する際といえども決して此の給金割は動かざりしが、明治二十一・二年頃角觝会所の名目は角力協会と改められ其の規約にも改正を加え、従前よりの圧制主義を撤回し、且つ力士の最高給金二十二両なりしを四十五円に進めたり、されど当時は角觝萎靡として振わず、取締の年俸百円にて常に協会に於て百般の事務を執り、検査役は金二十円、木戸部長十円、以下二等に分かち最下を七円と定めて興行しつつありしが、一昨年頃より俄然隆盛に赴きしにぞ更に又力士奨励のため増給の割を高め、且つ又九日間負け通したる力士といえども欠勤さえせざれば五十銭づつ増給すべき内規に改め、地方興行の際検査役は従来十円にてありしを十五円に引き上げたり、然るに検査役なるものは力士の技倆及び勤怠を監察し且つ興行上の交際も多ければ到底十円十五円の給金にては不足なるが、力士との権衡を失するの嫌いあるを以て一時に多額の増給を行う能わず、依って今回水戸地方の興行より協会の専断を以て検査役の給料を三円だけ増加し即ち十八円とは為したり。
・さるほどに、去る十五日の夜帰京したる東部屋の幕内力士等は斯くと聞くより大いに立腹し、翌十六日同部屋の面々浅草田圃の平野亭に秘密会を開き西部屋力士へ交渉する所ありしより、西部屋力士も思い思いに会合し十八日の夜を以て協会へ迫りたる理由の要点は、たとえ少額なるにもせよ我々力士へ一言の相談なくして引き上げしは如何なる次第なるや、斯様の取締役以下検査役の下に居りては以来相撲は取らず、と云い出したるにて協会の面々は一昨日午後より浅草代地の小中村楼に相談会を開き事を穏便に運ばんと東西三役に謀る所ありしが、彼等は固く取って応ずる模様の見えざるより、協会はやむ無く昨日の初日を休業し彼等より折合を付けざる内は幾日経るとも興行せざる事に決定したれば、いづれ何人か其の間に仲裁の労を取らざれば初日を興行するの運びに至らざるべし。
・以士は紛紜の原因として見るべきものなるが、力士中不満を抱ける者等は容易に其の立腹を解かず、そもそも協会の役員なる者は我々より選挙して任じたるものなるに斯く専断の所為に出づること不都合千万なりなど怒鳴り居れば、もし仲裁する人おれば些少の事柄にも必ず一の条件を付して持ち込むべし、又協会の役員は年寄七十余名と東西力士及び足袋以上の行司を合わせ総計百二十余名の選挙に当選就任したるものにて取締は斯道隆盛のために督励して万端の事務を執り、各検査役は力士の優劣を審査するの任務を帯びて敢えてやましき所なければ今回の如く力士に容喙せらるべき理由なしとて要求を斥け、双方とも気焔なかなか盛んなれば、此の上は非常に有力なる仲裁者ありて双方の顔の立つべきように折合を付けざるに於ては、或は古来その例なき五月場所興行廃止の不幸を来たすやも未だ以て知るべからず、兎も角も回向院大角觝をかかる苦々しき問題のために廃止する等の事あらんには斯道の歴史の上に情けなき汚点を残すのみならず、折角力瘤を入れたる江湖幾多好角家の人気を挫くことあるべければ一日も早く和解落着せしめたきものなり。
・因みに記す、東西幕内力士は以上の如く苦情を持込み居れど、一方には例の甚だ無邪気にて昨朝も午前六時より各々稽古場へ赴き平日の如くに笑語して常陸、朝汐、小錦は東の稽古場にて我も相撲い弟子にも教え、また西の稽古場には鳳凰、梅ノ谷、海山の面々一心に技倆を鍛え弟子にも懇ろに教えある等、一寸見たところでは何事の起こりて休業せしにや少しも知れざるほどなりしとぞ。
○相撲年寄境川の賭博犯
・本所区横網町二丁目七番地に住む相撲年寄境川浪右衛門こと高塚彦右衛門(四十七)は、旧名総ノ海と呼び其の頃より賭博を好みて仲間にも度々意見されたるが、なお全くやめ得ずして今回も大場所が始まるとてかねて贔屓を受くる栃木県那須郡鍋掛村薄井兼造(三十五)ら両三名が見物かたがた上京して訪ね来りしかば、境川に大いに喜び再昨夜は自宅に宿泊せしめ酒肴など取寄せて馳走し居たる折、平素の賭博仲間なる日本橋区蠣殼町一丁目四番地谷萩捨吉(四十五)斎藤梅吉(二十二)を始め三十四五人が来り会したちまち賭博のむしろを開きて一座勝負の真っ最中、早くも其の筋の耳に入り一昨日午前一時頃数名の警官踏み込んで、驚き逃げる一座の者を片っ端より取り押さえ境川はじめ薄井兼吉ほか五名を引致したれば、相撲仲間も大いに心配し是非とも嘆願せんと奔走の効もなく昨朝遂に境川等は検事局へ送られたり、目下相撲道には別項記載の如き大紛議あるうえ大場所興行に際して年寄中にかかる犯罪者を出ししは重ね重ね同社会の恥辱というべし。
突然ですが、場所が始まりません(;・ω・)力士のストライキなのですが、原因は親方衆の昇給です。このところ大相撲は客入りが良く、その収益をどう分配するかということで揉める原因になります。江戸時代の大相撲は、相撲会所と呼ばれる組織が取り仕切り、現在でいう理事長にあたる筆頭(ふでがしら)と呼ばれる親方がトップ。明治22年に組織改革があって東京大角力協会となり、筆頭は取締、組頭は検査役と役職名が変わりました。検査役というと現在の審判部のような意味合いにも取れますが、理事に当たるのでしょうか。名前が変わってもなかなか年寄主導の利益配分はなくならず、力士に不満がたまっていたのでしょう。一応力士の待遇も少しは良くなってきているようですが・・今回は交際費も多くかかる検査役だけに巡業中の月給を15円から18円にという、そう大規模な変更ではありませんが、力士側に何の相談も無かったとのことで小中村楼に閉じこもってしまいました。3年前のストライキ事件の舞台となった中村楼の別館でしょうか?閉じこもると言っても朝になれば部屋に戻って普通に稽古をしているのですが、誰かが仲介に走らなければ場所は到底開催できないといった様相です。どうなる事でしょう。