○回向院大相撲
・一昨二十日は日曜にて、殊に寒気も正午頃よりやや緩みたれば通常の二日目よりは幾分の景気を増し、貴顕方には徳川公、副島、吉井、佐々木の三伯、吉田子、安藤議官等を見受けたり。
・野州山に千羽ヶ嶽は、野州の左差しを千羽反り身にて泉川を極めヨラんとするを、外掛けモタレ込んで野州の勝なりしが、千羽余り身を反らしたため敵は充分平常の術を顕わすに至れり、もし千羽が身を反らさずして右足を引きたらんには、或いは掛けし泉川が極りしやも知れず、注意すべき事なり。
・今泉に真鶴は無造作に立上り、直ぐ左四ツにつがい鶴は右をハヅに充てジリジリ押しに攻め付くるを、今は上手にこれを絞り兎角受け身となりて揉み合ううち、敵は差されし手を解きつつ釣出して真鶴の勝は巧者と云うの外なし。
・阿武松に鬼ヶ谷は、立合に阿武ウマク諸差しとなりしも敵が鬼だけに素早く差し換え左四ツとなりたり、この時土俵際なれば阿武は体を廻し釣出さんとせしが、モタレ込んで鬼の勝。
・芳ノ山に司天龍は、立合うやいな直ぐに右差しヨリ倒して司天の勝は呆気なし。
・若湊に知恵ノ矢は、立上り若は右差し左を充て遮二無二ヨラんとするを、知は敵の差し手を撓めながらうまく残したれば、若は是非なしと力を頼み下手投を打ちしもこれまた極らざるより、一ト際烈しく廻し込みたるより、かえりて自身の体危うかりしが、敵に知恵なかりしが幸い突出して若の勝、もし相手が他力士にてありしなら敵の廻し込みし際付け入り送り出して勝を得るならんと相撲通の評、或いは然からん。
・小錦に八幡山は、当日第一の相撲なれば場内何となく騒がしく、観客はいづれも固唾を呑んで注目せり、両力士は容易に立上らず化粧立ち数回ののちようやく立上り、左四ツにつがい一寸と競ううち錦は苦なく下手櫓に釣り、勇み込んで持ち行く時八幡は此処ぞとモガキしが土俵際にて、遂に体が落ちたりとて行司は錦に団扇を揚げたり、然るに錦が敵を持ち行く際八幡の体未だ落ちざる前、錦に踏越しありとの物言起こり預りとなりしが、観客は過半錦の勝なりと思いたらんも、全く踏越しのありしものか検査役は平預りと為せり、もし一方を勝と認むれば其の場だけを預け星は無論勝者に付するが同社会の規則なりと聞く。
・黒雲に鞆ノ平は、諸差しヨリて鞆の勝。
・一ノ矢に真力は、立上り一は左差しとなりしを真は其の手を締め敵の右を殺し争う時、一は差し換えつつ内ワクに行きしが残り、真ハズにて攻め互いに揉合ううち、一は前袋を引きて釣る趣向なりしが兎角するうち水入りのち間もなく二本差しとなりヨリて一ノ矢の勝。
・綾浪に伊勢ノ濱は、綾左差しとなりしを伊勢泉川に極めしが、足クセモタレ込んで綾浪の勝。
・伊勢ノ海に海山は、右差しヒザ櫓にて海山の勝。
・嵐山に谷ノ音は、右四ツにつがい釣出して谷ノ音の勝は場内の喝采あたかも湧くが如く、暫時鳴りも止まざりき。
・若ノ川に常陸山は、立上り若左差しとなりしを常陸は左手をハズに構い小手投げに行きしが極らざるより、やむを得ずナタを試むるうち敵の突き付け烈しきため腰クダケて若ノ川の勝。
・西ノ海に平ノ戸は、立上りざま平は足クセを巻きモタレ込まんとの仕組なりしが、敵は心得たりと此の際右足を引きしかば平の企て齟齬して如何ともするなく、其のままヨリて西ノ海の勝は大キイ大キイ。
・千年川に大鳴門は、立上り千年は充分突張り行きしを、一寸とハタキ突き手、鳴門の勝にて打ち出したり。
前頭筆頭へ躍進し快進撃の小錦でしたが、落とし穴があったようです。平預かりとは両者五分の丸預かりのことでしょう、もし踏み越しが無ければその場は預かりとなっても小錦に丸星がついていたはず、と記事では言っています。千羽ヶ嶽の相撲には記者自ら技術的な苦言を呈し、知恵ノ矢に対しても知恵無しとはなかなか辛辣ですね(;・ω・)
明治22年春場所星取表