○九日目限りの大相撲
・回向院の皐月相撲興行中は、かねても記せしが霖雨と力士欠勤のため観客の足取り悪く、ために損耗を醸せし金高は三千円余に上り、部方(年寄)七十七人がこの損耗を担当する事に決したるも、年寄中一人にて四十円の出金は到底出来ざれば三十円ずつとなし、余は協会の積金より支出するはずのよし、さて同相撲もようやく九日目まで取り、昨日の十日目にて千秋楽となる都合なりしに同日は雨天にて興行出来ず、さりとて天気次第触れ太鼓を廻して十日目を打つが本文なれば左様すべしと思いしに、かくする時は本日が天気にて明日打つとするも一日八十円、三日にて二百四十円を支出する勘定にて、これ迄の上にも損耗を嵩むる訳なればとて断然九日目を以て千秋楽となす事に決し一昨日打ちしまま立消えとはなりぬ、かく大相撲が途中にて立消えとなりしは年寄伊勢ヶ濱などが覚え居る所にては今度で三回、放駒以来は二回にて第一回の立消は藤島が勧進元の節七日目にて千秋楽にしたりといえば六十年以来今回で兎に角三回、例はあるものの九日間の大相撲とは近年に珍しく覚えたり。
大相撲開催は十日間ですが、それが短縮されるケースは江戸時代には何回かあったものの明治期では非常に珍しく、これが唯一のケースです。回向院時代、相撲場では炊き出しといってご飯や漬け物、味噌汁などの食事を用意し、力士達は皆そこで食事を済ませました。この費用が1日80円、現在でいう50万円くらいでしょうか。このお金は興行収入から出るのですが雨の日も炊き出しは行われるため、雨天が続くほど支出だけが増えて興行の勧進元である年寄が損をしていくわけです。千秋楽は幕内力士も出ず大した観客収入が見込めないため、異例の決断となったようです。
明治23年夏場所星取表