○回向院の大相撲
・昨日開場となりし同相撲初日の景況は回向院門外に数本の幟を押し立て、かねても記せし如く特別席の外は全て木戸銭にて自由自在に如何なる場所にても見物し得られしものから来観者は従来初日の比にあらず、午後二時頃に至りては流石に広き場内も立錐の余地なかりし程にてありし。
・大泉に虹ヶ嶽は、左四ツヨリ倒して大泉の勝。
・立嵐に大戸平は、見栄えありとて観客も自然力瘤を出して勝負如何を待ち設けしに、力士は立上り大は敵を一掴みに取り挫ぎくれんずと左を差して無残に攻め付けツツより倒さんとせし際、立も聞こえし剛のものなれば咄嗟の間に棄て身となりしが物言い付いて場面だけ預りとなりしも、勝負付には大戸平の勝とせり、検査役職務を尽くしたりと云うべし。
・朝汐に大碇は、碇尋常の立合にては敵に勝を得る事むつかしければと仕切りをなすやいなエイの一声と共に手強く突掛け突掛け踏込み来れば、朝も流石に堪えかねしか土俵を開きてこれを避けしに、敵は此の機失うべからずとて再び付入り来るを、得たりと引張り込みつつヒネりて朝汐の勝は巧みなる手段と云うべし。
・北海に大炮は、力士が土俵に出ると等しく場内は何となく人気立ちて一層喧々たりしは全く大炮の茫やりせし様がかえって愛嬌となりしゆえなり、さて北は立上るや左差し右で敵の前袋を掴み下より噛み付きて只ただ防ぐ一方なるも、万一隙あらばヨラんとする様も見えしが、大炮は無礼にも敵の差し手をコジリてこれを開き付入りてしきりにスクイを試みけるに、北は此処ぞ大事と防ぎたるを強情にもコジリコジリてスクイ倒して大炮の勝は満場どよめきたり。
・響升に司天龍は、右四ツ司天は遮二無二もヨリ切らんと攻行く時、土俵際にて見事ウッチャリて響升の勝。
・剣山に千年川は、立合に千年二本差しとなりて敵の動作によりてはまた術ありと云える様子なりしが、剣はこれを諸に絞り難なく釣り出さんと土俵際間近に来りし時、早くも外掛けモタレ込んで千年川の勝は剣山老いたりと溜りでの評。
・西ノ海に大纒は、立合いに西敵の右を引張り込んで特有の泉川にて攻付けながら土俵際にて突放したるは全く勝ちと思いしものか、しかるに突放されたる纒は未だ土俵はあるよと云わぬばかりの面持ちにて土俵を避けて突張り行きしを、西関かくは失策してけりと狼狽のまま立て直す暇なくうろつく所を得たりとヨリて纒の勝は僥倖、西関の迂闊なる、注意せよ。
・大達に平ノ戸は、達例の仕切りで左四ツとなり無闇にヨリ行きしは如何にも立派なりしが、外掛で平ノ戸に勝を譲り、否な敗を取りしは見苦しき次第なり。
・高ノ戸に谷ノ音は、右四ツヤグラナゲで谷ノ音の勝。
・外ノ海に鬼ヶ谷は、鬼は得意の突掛けと出掛けて鋭く付入りしが、第一の突掛は外ようやくに防ぎしも第二には到底当るべからずとて勢い込んで再び来るを避けしゆえ、鬼は自身に土俵を踏切り外ノ海の勝は満場哄笑。
・知恵ノ矢に綾浪は、右四ツ綾は少しく周章の体にてヨリ行くを、ヤグラで知恵の勝はよし。
・八幡山に出羽ノ海は、立上り八幡敵の左を引張りて一寸と撓めしも、出羽イヤダとこれを解くトタンに渡し込んのサバオリにて八幡山の勝で打出したり。
○回向院大相撲
・昨日初日開場の筈にて払暁より櫓太鼓の音は隅田川に鳴り響き、好角家は鼻うごめかしつ続々詰め掛け行きしに、あいにくも時々降雨のため初日は本日に延引となり見物人は悄然帰り行きたり、殊に今回改良せし場内無代価の場所中には(木戸だけは五銭)従前三円五十銭も取りし高桟敷(四隅の桟敷)もあるが、これはかなり見よき所なり、かつ初日は特別席の他はいづれの場所も無代と聞き、赤ケットを纒いし田舎人の握り飯を携え一団体をなして来りしもありたり、又かねても記せし如く貴族院休会なればとて好角家の議員諸氏には十日間桟敷買入の約定をなせし向き多しという。(1.5)
この頃の入場料は、まず場内に入るために木戸銭があり、さらに座席の等級に応じて追加料金が発生するシステムでした。観客増加作戦の一環か、この日は木戸銭のみでほとんどの席を利用できたようですね。昭和戦前にも「大衆デー」と称して安い均一料金で好きな席に座れる制度がありましたが、昔から色々な工夫がされていたものです。大炮(大砲)は新十両ですがなんと筆頭への抜擢、体格を生かした力任せの相撲は幕内力士にも脅威となりそうです。横綱西ノ海は油断して初日から黒星となってしまいました。
明治25年春場所星取表