○回向院大相撲
・昨日五日目の同相撲は、日々の好景気なるためにわかに桟敷の建て増しをなすなど近年になき人気にて、貴顕方の内には近衛公、徳川公、西郷伯、三好中将、渡辺驥氏、児玉判事等の方々を見受けたり。
・高ノ戸に大纒は、突合い高は左差し腰を落し前付けとなり、纒は上より絞りしまでにて働き得ざるよりしきりに立て直さんとするも、敵は聞こえし巧者なれば其のまま噛付き一寸と引落しを掛けしが、纒は一生懸命防ぐ一方にて稍々睨合いの姿となりて水入り、のち少し競り合いしが果てしなしとて引分。
・大蛇潟に鬼鹿毛は、大蛇左差し鬼これを絞りながら十八番の足クセ小手ナゲを打ちしが、敵の体の落ちざる前不手際にも突き手ありて大蛇潟の勝なれば行司は団扇を大蛇に上げたるに、溜りの平ノ戸は苦情を付けんものとオイと行司を招きたる時、検査役玉ノ井は苦情の付くべき角觝ならずと認め手を振りしにも拘わらず、行司を呼んでとやかく言いしものか検査役東西に奔走したり、時に満場の観客は今の相撲に物言を付るとは何事ぞ行司の見誤りにあらず立派な勝負なりと喧しく鳴り渡り、更に承服する様子もなかりしが遂に預りとはなりぬ、もっとも星は大蛇の方なりと言えり、嗚呼検査役なるものは所謂裁判官として彼等四本柱にあり公平無私にその勝敗を判断するものなり、他よりいかなる事を言い張るも彼等の判断は決して他の左右し得べきものならずと思いしに、溜りの力士が立派なる勝者に向かって味方なりとて苦情を鳴らし、これを採用してたとえ星は勝者に付するといえども一歩譲りて預りとせしは実に検査役は力士の蹂躙する処となりしものなり、早くこの弊を矯めざれば相撲社会の不利益なりと語りし人ありしが、実に理と思わる。
・平ノ戸に出羽ノ海は、造作なく平の勝なりと呟き居るうち早くも立上り出羽右差し攻め行くを平はウッチャらんと土俵を逃げ行くを、追い込みツツ見事にスクイて出羽の勝はあっぱれあっぱれ。
・北海に谷ノ音は、右合四ツ谷釣らんとするもこれを防ぎ挑合い水入りてのち揉合い引分。
・響舛に響矢は、左差し遮二無二ヨリて響舛の勝は是非なし。
・朝汐に剣山は、朝敵を狼狽せしめて一仕事せんとの考えなりしか立上るやいな数度突掛け行くを、老いたれども流石に剣はこれを防ぎて左四ツとなりてヨラんとするを、朝は一寸と襷に変ぜしが勝手悪しと二本差しヨリ行くを剣貫抜きとなりて絞りたるも、無残にヨリ来たらるるより首投げを打たんとせし際、敵は首をすぼめスッポ抜けて朝汐の勝は可笑。
・綾浪に鞆ノ平は、左差しヨリ切りて鞆の勝は若返りたりとの賞讃。
・千年川に知恵ノ矢は、突合い押切りて千年川の勝。
・達ノ矢に大炮は、観客の待ち設けたる取組にしてすでに前日までは幕の内に錚々たる力士に容易く勝ち通し、最早三役及び西ノ海のほかは彼に及ぶ力士なく、しかるに今回は三役以上の者とは顔を合さぬとの事なれば最早大炮と角觝う力士は達ノ矢より他になきゆえ満場如何あらんと固唾を呑んで居たりしが、早くも立上り手四ツとなりて達手強く引張りしに、大炮の一寸泳いでヨイショと体を引きし所を得たりや応と付入り、左差し素早く踏込み渡込んで達ノ矢の勝は、実に間髪を入れざるうちの働きにして大出来と云うべし。
・大泉に大戸平は、二本差し平は諸に絞り撓めてありしが泉はこれを解かんとモガクうち、早くもヒネリて大戸平の勝。
・外ノ海に真力は、外突掛け行くを押切りて真力の勝。
・一ノ矢に司天龍は、司右差しヨリ切らんと攻行くを一はこれを引掛けヨリ返さんとするうち、敵はスカサズ土俵際まで攻め来りしゆえ一は是非なく首を巻きて棄て身となりしが、ヨリ切りて司天の勝、時に苦情起りて場面だけを預けて勝負付は司天の勝となれり。
・大達に八幡山は、立上り左四ツにつがい八幡ヨラんとするを達は金剛力を出して振り廻したるに、八幡は此処ぞと堪ゆるトタン掬い投げで見事大達の勝にて打出したり。
客入りは上々で良い相撲内容を期待したいところですが、早速出てしまいました強引な物言い(;・ω・)これは当時もやはり興ざめの場面として非難されています。勝負審判である検査役が東西へ奔走、というのは東西の控え力士に意見を聞いて回っているのでしょう。現在では考えられないくらい控え力士の発言力が強いです。すぐに改めるべし、と忠告されていますがこの後数十年、大正時代に入るまでこの習慣は続くことになります。さて好調の大炮ですが番付は十両なので役力士に当てるわけにいかず、平幕の実力派達ノ矢が指名されましたが見事な速攻で新鋭を止めてみせました。結びは4連勝の大関八幡山と4連敗の元大関大達、この対戦を古豪が制したというのもドラマチックな一番です。
明治25年春場所星取表