○回向院大相撲
・一昨日六日目の同相撲は引続きての好天気、殊に日曜の上小錦と云える人気愛嬌ある力士が病気を冒しての取組もありとて観客の足取り早く、回向院内外は雑踏非常にして午前十時頃にはすでに二等三等の場所売切れの札を貼り同十一時頃には場所立錐の地なく客留とはなりぬ、されど見物人はひしひしと詰め掛け相撲小屋より元町の間は人の山をなし如何にもして入らんものと談判をなすなど、今の雷が梅ヶ谷の頃大達と顔を合わせし以来の大入にて、木戸より悄然帰りし人およそ三千人もありしと、実に本年は相撲繋昌の年なり、観客の内には常連の近衛公、徳川公、渡辺驥氏、芳川宮中顧問官、伊達侯その他貴族院議員等の方々を見受けたり、さて今回の場所には貴顕方の来場少なからざるに力士が傍らに侍らせざるは如何にと尋ねしに、力士の桟敷廻りを厳禁せしゆえなりと、しかし好角家のうちには力士を傍らに侍らすを無上の愉快とせらるる方々もありと云えばこれらの人々は力士と共に失望の事なるべし。
・知恵ノ矢に外ノ海は、立上るやいな右手で首を巻き足クセ河津掛けにて知恵ノ矢の勝、時に見物人の中より徳利を擲付し者ありしが幸に怪我もなかりし。
・大炮に千年川は、千年ヨイショの声と諸共下より噛付かんと敵の前袋を狙いしが、大炮は一寸跳返して体を斜にドサリとブッツケたるに、千年は其のまま土俵の外へ転落して大炮の勝はテモ恐しき体量なり。
・大達に鞆ノ平は、達元気なる時にも鞆とは引分を取りし事数度あり、これにはすこぶる埋由あるよし、さて今日も如何あらんと思いしに果して左四ツにつがい達は充分ヨリ切れる処も不似合にも遠慮してあとずさりして挑み、水入りのちモガイて引分は申合の相撲と思わる、もっとも大達高砂と喧嘩以来今に兄弟同様に親しく交わるは一ノ矢鞆ノ平の両力士なりと、私交上の親しきはよし、しかし土俵の上はなるべく敵視するこそ力士の本分と思わる。
・平ノ戸に大泉は、左四ツ平二本差し攻来るを諸に絞り逆にヒネリて大泉の勝。
・大戸平に一ノ矢は、立上り一は遮二無二右差し攻め来るを、平はこれを支うる能わずタジタジとアオリ立てられ止むを得ず足を割込み防がんとせしが、鋭くヨリ切りて一ノ矢の勝。
・綾浪に真力は、綾は左差し右前袋を掴みヨラんとするを、真力はハズに構え隙あらば突返さんず有様なりしが、すかさずヨリて綾浪の勝。
・八幡山に朝汐は、当日第一の角觝なれば満場の喧擾停止する所を知らざりし、さて力士は立上り朝は烈しく突張り行くを八幡も突き返し、暫時突合いしが朝は一声鋭く突出し、時に八幡も突出さんとせしに敵に素早くひらりと体をすさりしかば八幡ほとんどノメラんとするトタン朝は手強くハタキたり、普通の力士なりせば其のまま敗を取るべきに流石は八幡よろめきツツ付入り来るを、上手を引きヒネリて見事朝汐の勝は場内再びどよめきたり。
・大纒に出羽ノ海は、左四ツヨリ纒の勝。
・響矢に高ノ戸は、響エイと出で来る途端上手に首投げにて高ノ戸の勝。
・鬼鹿毛に響升は、響左差し鬼小手投げ残りて挑み合ううち鬼首ナゲに行きしが、余りハヅミしゆえスッポ抜け渡込んで響升の勝。
・谷ノ音に達ノ矢は、右四ツにつがい釣出して達ノ矢の勝。
・剣山に北海は、左差し難なくヨリて北海の勝。
・司天龍に小錦は、錦病気なりとて前日まで角觝わず何か事故ありての事ならずやなど内々疑いし人もありしが、体格疲労して顔色憮悴し前日の比にあらず、記者は錦の勝おぼつかなしと予想せしが双方立上り錦は例により素早く左差しヨリつつ外掛けとなりしも、敵を引付けずして粗忽にも遠く掛けしゆえ残念ながら掛け倒れ司天龍の勝にて打出したり、記者は打出しののち高砂に会い小錦の疲労実に甚し、かかる病気なるに何故角觝わせしやと尋ねたるに、病気の事は更に答えず錦の敗は勧進元の耳タポなりと意味ありげに云いしが、錦よ病気全快の上にて出勤すべし病者といえども敗を取れば不名誉なり、猛省せよ小錦。
昔の力士は客席に贔屓客への挨拶回りをしに行っていたと言います。小遣いなどももらっていたのでしょうか。力士の社会的地位は今と比較できないくらい低い時代です。さて前日は大達が意地を見せましたがこの日は一ノ矢、元大関が良い相撲で大戸平を止めました。そして小錦が久しぶりに出場、体調が全く不十分のため敗れてしまいました。入幕以来黒星なし、4年前の十両時代から続けていた連勝が41でストップしてしまったのはもったいないことです。客集めのために無理に出場を頼まれたのかも知れません。
明治25年春場所星取表