・昨日十日目の同相撲は、降雨のため観客も至って少かりし。
・雷山に藤ノ嶽は、左四ツ蹴返して藤の勝。
・小松山に鳳凰は、左合四ツにつがい互いに撓め合い水入りてのち一寸と揉合い引分。
・高千穂に千代ヶ崎は、左四ツヤグラ投げで高千穂の勝。
・勝平に越ヶ嶽は、突合い勝一寸引落しに行きしが残り、突張り合い水入りてのち右上手下手となり揉み合いしが、果しなければ引分。
・音羽山に柏森も、左四ツ水入りてのち睨み合い引分。
・是より三役、當り矢に松ヶ関は送り出シて松ヶ関の勝。
・小天龍に大碇は、押切りて大碇の勝。
・唐辛に高浪は釣出して高浪の勝、この時五月野は弓取を演じ千秋楽の相撲を終わりたり。
○相撲場の困難
・昨日十日目の相撲は降雨烈しかりしも、流石に天幕なれば初めの程は毫も意に介せざりしが、天幕の不完全なるゆえにや午後二時頃よりにわかに場内に漏れ来りしため観客はここかしこと雨を避けてありしが、果ては避くる所もなくいづれも布団ケット又は傘等をかざしてこれを凌がんとすれば、後ろより邪魔だと怒られ観客の困難は実に非常なりし。
○横浜の大相撲
・西ノ海、剣山、小錦、八幡山の一行は明二十九日より晴天七日間同市足曳町に於いて興行する由。
千秋楽は十両以下の取組なので観客が減るのも仕方ない所です。勝ち越し同士の対戦でやや引き分けが目立つ感がありますが、以前少し問題になったように給金アップ額をキープしたいために無理に勝負に行かなかった部分があったのかも知れませんね。雨よけテントはまだ使っているようですが、ちょっとした雨ならともかく大雨となると難しいようです。
明治25年夏場所星取表
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千秋楽に幕内力士に取組がないのは何故でしたっけ?女性の観戦が千秋楽だけというのは聞いたことあるのですが、それは明治初期の話ですよね。
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江戸時代の寛政くらいから千秋楽は幕内が出ないことが多かったんですが、ナゼそうなのか明確に説明されているのを見たことがありません。
相撲は男のものであり、当然女人禁制・・・女性も見たいという要望がある・・・千秋楽だけは許可、ただしホンモノの関取の相撲ではなくて半人前のやつだけね、という流れでしょうか?これはgansの想像です。
江戸時代から、千秋楽には大関五人掛かりがあったりして、お祭りというか色物的な雰囲気を感じるのですが・・・当ブログでも紹介しましたが明治前半は千秋楽でも土俵入りだけはあったり、幕内力士や年寄が酒を飲んで楽しんでいる光景もあったようです。
ともかく江戸後期には完全に幕内力士が出なくなりましたが、おっしゃるように明治に入ってしばらくして何日目でも女性が入場できるようになりました。
この時点ですでに幕内力士が出場しない理由は何も無いと思いますが・・・しかし長年の慣習だし幕内力士も1日多く働かされるのには反対するしで千秋楽のこの状況だけ維持されていったのだと思います。
「これより三役」と銘打っているのに出てくるのは十両だけ、なんて奇妙な状況が長年続いたわけですね。