○回向院大相撲
・一昨十四日(六日目)は日曜日に加え前日三大関の失敗せしと同日三四の好取組ありしため近来稀なる大入にて、実に立錐の地も無きほどなりし。
・岩戸川に唐辛は、例の突合い烈しく右四ツに組みしがたちまちもつれ岩戸の攻め来る鼻を唐は潜り入り、釣りに掛けて勝ちしは妙。
・鬼鹿毛に不知火は、鬼の得意合掌にて捻り落さんとせしに不知も去るもの注文通りに行かず、抜き替え片閂より小手投を打ちしが残って不知が打ちし下手投を鬼は浮きながら耐えしも、不知の押切りに鬼は外不知は内。
・狭布里に横車は、立ち上り右の相四ツにて挑みしが横例の櫓にて勝ちを占む。
・梅ヶ崎に當り矢は、梅敵の左手を手繰りて立上り、互いにハタキて赤ら顔となり、當が矢筈を掛れば梅は外し又ハタキ合い、入り乱れの狂い相撲にて遂に當りは手繰り出されて梅の勝。
・荒岩に大纒は五分の相撲と評する間もあらせず、荒の下手投げ極まって大は倒る。
・天津風に響舛は、天は右四ツにて釣ると見せもたれ掛り寄り倒して天津の勝。
・海山に逆鉾は、体格取り口の似たる角觝にて当日の呼物なれば場中やかましき中に両力士は見事に仕切りて立ち上り、逆の右差しを海は小手投にて極めんとせしも逆は引き外し右手を抜き替る時、海はすかさず突掛け行き外掛にて海の勝、この手は四十八手外の掛け落しという手なりと。
・鳳凰に越ヶ嶽は、越の右差しにて掛け寄るため鳳の体危うく見えたるが、寄り返してアビセ掛けるを越は捨舟に行きかえって腰砕けて鳳に勝を与えしに、溜りに控えし響舛は同体に落ちしと苦情を云い検査役の協議となり、およそ三十余分間も問答に時を移したるのちようやく埒開き鳳の勝。
・(中入後)梅ノ谷に勝平は、勝の手取りながら飛び込みて爪取りしが当らず、今度はすぐに片手枠に行きて勝の勝。
・楯甲に増田川は、楯の掛け倒れにて増の勝。
・小天龍に雷山は、互いに突合い雷はすべって腰砕け小天の勝。
・高浪に岩木野は、左相四ツにて岩より投げを打ちしも残って寄合い、取り疲れて水となり水入後も双方大事を取って動かず引分。
・大蛇潟に松ヶ関は、左四ツの揉み合にて互いに寄切らんとしてアセリて取り疲れ、水入後引分は飽き足らず。
・大砲に朝汐は当日第一等の呼物にて、朝の二本差しに行くを砲は右手を泉川に撓めて押出さんとし、朝は鋭く寄り進みて砲を土俵の詰に押しつけしも、砲はようやく耐えて寄返し土俵の中央に仁王立ち、相撲やら木石の造物やら、動きもせず仕掛けもせず水入後も行司の組みたるままにて引分は双方とも横着なり。
・大戸平に若湊は、前日鳳を倒したる若の事とて呼声高く、若もこれに元気を添えてよく突掛け右四ツにて寄り出さんとするを、大戸は寄り戻して大戸の勝。
・谷ノ音に小錦は、錦の突き手に谷は寄り付く隙もなく逃げつつ防ぎ居りしが、錦が諸手の突きに溜らず谷の体飛んで東溜りへ落ちぬ。
海山に逆鉾、花形同士の対戦は熱戦で盛り上がりました。掛け落としは前に攻めながら外掛けで倒すといった感じでしょうか。27歳の新関脇海山は5勝1敗と好調で脂の乗りきった感があります。勝平は長く十両に定着していますが、現代と比べてはるかに体格の小さい当時の相撲界にあってなお小兵、肥満型の梅ノ谷戦は潜り込んで足を取り快勝しました。将来の名横綱も小兵のスピードと技の前になすすべ無かったようですね。前日は1横綱2大関が全員敗れる波乱でしたがこの日は安泰。
明治30年春場所星取表