・昨日(九日目)は午前小雨曇天なりしため来客前日よりは少なかりしも、矢張り相応に景気を呈したり。
・岩戸川に鉞りは、岩戸の左筈鉞りの左差しにて挑みしが、双方疲れて引分け。
・金山に司天龍は、左差しにて押切り金の勝。
・八剣に利根川は、八の左差しをトッタリにて利根の勝。
・萬力に御舟潟は、引落しにて御舟の勝。
・最上山に栄嶽は、釣り出して最の勝。
・松ノ風に鶴ヶ濱は、左相差しにて右を巻き合い、のち四つとなりて釣り合い取り疲れて引分は無理ならず。
・毛谷村に勝平は、突合い手四ツにて勝は遊び半分に受け支え、やがて右内枠にて勝の勝は楽過ぎたり。
笹島に不知火は、左四ツより笹は二本差しとなり不知は左に前袋を取り右に首を巻きて笹の出鼻を打たんとしたれど、笹は体を引いてこれを防ぎぬ、よって不知は更に内掛けに行くも極らず互いに釣り合いてのち、水入り後勝負付かずして引分。
・大纒に横車は、横のマッタ数回にてようやく立ち上り、左差しは押切りたるが大に捨身ありとて物言い付き預りとなる、星は横車。
・當り矢に若島は、若が當りの右差しを巻き右筈にて寄るを、危うく寄返したる甲斐もなく押出されて當の負。
・玉龍小天龍は、突き合いてのち小天の突きに玉の腰砕けたり。
・松ヶ関に高浪は、松の右差し高の右筈にて押し合い、砕けてのち松は二本差しとなり左の内掛けにて松の勝。
・若湊に大砲は、突き合いて若の諸筈を砲は支えて防ぎしが、やがて若は懐に入りて二本差しとなり引落さんとするを砲がもたれ込みたれど、捨て身にて若の勝、若に膝つきありとて物言つき預りなりしも勝星は若湊。
・越ヶ嶽に大戸平は、越の右差し上手より巻き、右筈にて苦もなく寄り倒したり。
・小錦に鳳凰は満場の拍手喝采に迎えられて両力士とも土俵へ上り、入念に仕切りて立ち上るや錦は左を差し右に前袋を取りて、寄り倒して錦の勝。
○大相撲勝負(再録)
・前号欄外に記入したる回向院大相撲九日目の勝負は、都合によりて印刷漏れの分を生じたれば重複ながらここに再録す。
・玉風に常陸山は、立ち上り常のハタキを玉は残して直ぐに付け入りたれば常は廻り損じて突き出し玉の勝。
・嗚瀬川に稲瀬川は、突合い突出して稲の勝。
・増田川に京ノ里は、右四ツにて揉み合い水となり、のち取り疲れて引分。
・岩木野に小松山は、右四ツの釣り合いにて水となり、岩二本差しにて釣りたるが、残ってまた打合いしが取り疲れて引分は大相撲。
・高見山に鬼鹿毛は、高の左差しにて引落しの残りしが、寄て高の勝。
・黒岩に天津風は、突合い一寸天は引きそんじ黒は左四ツにて釣り出したり。
・逆鉾に梅ノ谷は、突合い飛び違いて逆のハタキ極って左足を踏み越しの梅の負は残念なりし。
・源氏山に荒岩は、左四ツとなり源は打つ釣るの秘術を出したるが荒の防ぎながら一寸蹴返しを見せたると体を退きたるに、荒はまた引落さんとすれど源も十分に防ぎて容易に決まらず、水のち取り疲れにて引分は同日中の大相撲。
・朝汐に海山は、左四ツより海は左へ片襷の合掌にて捻りたれど、残って朝は左差しにて釣りて持ち出したるが、海は釣られながら泳ぎしより朝に踏越しありて海に団扇上りしが、物言となり預となり、星は未定。
○相撲一束
・昨日(九日目)の大詰、朝汐海山の取組勝負は第一回欄外及び本紙にも再記したる如く物言つき、四本柱の検査役は百方両力士に説くところありけるが、朝汐方の源氏山逆鉾等は十分に朝の勝なれば決して丸預りにせぬと主張し、また海山方の荒岩梅ノ谷等も丸預りは不都合なりと述べ、ようやく同日午後七時三十分頃行司は預りと触れて打出せしが、星の事にてまたもや容易に協議まとまらず取締役雷権太夫その他検査役が八名も出張し双方を説き宥め、やっと丸預りの無勝負にて落着したる由。
・大日本体育会へ寄付の東西合併大相撲はいよいよ明二十六日より二日間大場所跡にて興行する事となりたるが、初日の取組は左の如し。
常陸山 梅ノ谷
高見山 鶴ヶ濱
黒 岩 若 嶋
増田川 横 車
玉 龍 狭布里
不知火 小松山
大 纒 鬼鹿毛
越ヶ嶽 高 浪
天津風 小天龍
逆 鉾 當り矢
若 湊 松ヶ関
源氏山 大戸平
荒 岩 海 山
大 砲 鳳 凰
小 錦 朝 汐
・凰凰、大砲、海山、大戸平の一行はこの興行後横浜へ赴き、帰京のうえ軍夫記念碑建設費寄付相撲を催し、それより鳳凰、大砲は関西地方へ、また海山、大戸平は近県へ向けいづれも出発するという。
・小錦、朝汐等は体育会の寄付相撲打上げ次第小樽地方へ赴く筈なりと。
九日目を終え、荒岩の新入幕以来2場所連続の幕内最優秀が決定しました。横綱小錦が半星差で2位。前半好調だった大関鳳凰は強敵には勝てず5勝止まりでした。十両で快進撃の梅ノ谷はついに前頭2枚目の逆鉾と組まれ、ここはタイミングの良いイナシで逆鉾が意地を見せました。それにしても初日から東西問わず幕内力士との対戦ばかりで全勝を続けた梅ノ谷、すごいインパクトを残したことでしょう。本場所が終わると例によって巡業暮らしの各力士達です。
明治30年夏場所星取表