○回向院大相撲
・昨日(十日目)千秋楽の勝負は左の如し。
・磯千鳥に大鳥は、右筈にて大の勝。
・毛谷村に最上山は、左四ツの釣りにて最の勝は苦もなかり。
・虎勇に雷ノ音は、突合い雷の跳ね飛ぶを透かして雷は腰砕けて虎の勝。
・鬼龍山に千代川は、ハタキにて千代の勝は奇妙。
・鶴ノ音に嶽ノ越は、左四ツにて鶴は嶽の左を巻きて挑みしが、取り疲れて引分。
・祗園山に金山は、手四ツより金は祇の右差しを泉川に撓めしが、極らずして引分。
・鉞りに谷ノ川は、突合い上手投にて谷の勝は綺麗。
・常陸山に八剣は、立ち上り常は直ぐに八の左を泉川に撓め出したるは角觝にならず。
・稲瀬川に玉風は、右四ツにて挑みしがいづれも手なく中央に立往生のまま引分。
・梅ノ谷に岩木野は、突合い手四ツになり梅の寄るを岩は廻り込む途端、突き出されて梅の勝。
・鳴門龍に淀川は、押出して鳴の勝。
・岩戸川に御舟潟は、岩の左差しにて右上手ミツを引きて捻らんとするを、御舟は防身一方にてキタなく引分。
・松ノ風に甲は、松の右上手引きを甲は二本差しにて寄りつつ捻り倒したり。
・境嶽に熊ヶ嶽は、二本差しにて寄り切り熊の勝。
・鶴ヶ濱に笹島は、鶴の左差しを泉川に挑めしをそのまま預けて押出し鶴の勝。
・勝平に淡路洋は、勝の左差し寄って押出したり、当日の大関に叶うとて弓を受け白ノ峯弓取りを代理して打出したり。
○軍夫招魂碑建設の寄付相撲
・力士高ノ戸が亡軍夫の記念碑建設のため相撲興行の挙ある事は去る二十一日の第一回に記せしが、右は記念碑にあらず招魂碑なり(二十一日の記事に高ノ戸が軍中にて寵用せられたるを野津中将とせしは乃木少将の誤聞、従ってその従軍せしも第一軍にはあらずして第二軍なりと知るべし)また、その後聞く所によればその建設の場所はほぼ靖国境内に決し相撲も来月六七日頃もしくは十三四日頃より岩崎家の持ち地なる丸ノ内八重洲町の空き地を借受けて晴天五日間興行に決したり、その顔触れは昨日第二回「相撲一束」の内にも記せし如く鳳凰、大戸平、荒岩、海山、小松山、鬼ヶ谷、鬼鹿毛、高浪、唐辛、大蛇潟、不知火、大砲、八陣(大阪)、梅ノ谷等にして取組は木戸口に投書函を懸けて観客その他誰人にも投書せしめ多数者の希望を満たす筈なるが、興行者の胸中には梅ノ谷に海山、大戸平に海山、鳳凰に小松山、鳳凰に大砲なども是非つがわせて見るつもりなりと。
千秋楽は例により十両までの取組となります。梅ノ谷はもちろんですが稲瀬川、鶴ヶ濱、玉風らが良い成績を残し、今後の活躍が期待されます。弓取りは代理で白ノ峯、結びの一番の勝者の代理で弓を振るという意味で、現在でも結びの一番のあと「○○代△△」という口上を行司が述べています。この白ノ峯という力士はよほど弓取りが上手かったのか、このあと大正9年まで20年以上にわたり弓取りを担当するようになります。力士引退後は世話人に転向して弓取りを続けていたそうです(;・ω・)高ノ戸念願の招魂相撲はファン投票で取組を決めるという画期的なもの、会場は現在の東京駅近辺のようですね。
明治30年夏場所星取表