○回向院大相撲
・昨十九日(九日目)は数日来初めての好天気とて北風の強かりしも観客はひしひし詰め掛け相応の大入なりし。
・成瀬川に荒鷲は寄り倒して成の勝。
・鬼龍山に小西川は小の引張を預けて寄切り小の負は耐える間なし。
・淡路洋に嶽ノ越は、淡の左筈を嶽は巻き左をかって互いに揉み合いついに踏み越して淡の負。
・磯千鳥に鉞りは、左筈を互いに巻き合いやがて磯二本差しとなり暫し呼吸を計り磯の引投げ見事に決まりての勝は手際なりし。
・谷ノ川に境嶽は、立上り境は一勢に押し切らんとして進むに、谷も耐え得ず土俵の際まで寄りしを押戻したる不意に境はよけんと飛び去る体の軽きを突きて谷の勝。
・司天龍に虎勇は、突き合い司天の砂が眼に入りし痛みに気を奪われて苦なく突き出さる。
・岩戸川に両國は、突き合い両は素早く飛び込み岩の右足を取り投げんとせしに、岩は取られながらモジッて横にもたれ込みしゆえ両の腰砕けて団扇は岩に揚がりしが、同体に落ちしと物言いつきて平預かり。
・金山に嵐山は、押切って金の勝は苦もなし。
・大戸川に松ノ風は、松は侮りて敵に立ちを促したるよりたちまち突き出されて松の負は自業自得。
・高千穂に甲は、突き合い苦もなく突き出し甲の勝は是非なし。
・常陸山に鶴ヶ濱は、鶴立ち端に張って気を挫きしも常は感ぜず鶴の左の差し手を泉川にかけ撓め出さんと寄るを、鶴は満身に力を篭めて耐えしより面倒という風にて無理に東溜の土俵際にてネジリ出したるに、人々その力量に感じたり。
・玉風に一力は、玉の元気に一力の初めての出勤なれば勝負如何にと待つ間あらせず、二カ士は立上り一力の突きに玉一寸危うき所ありしが寄返して右四ツの左上手に三ツを取り合いて揉みしが勝負つかずして水となり、のち取疲れて引分け。
・高見山に稲瀬川は、突合い稲は左四ツに渡し右内掛けにて巻き倒さんとするも高は必死と防ぎて効かず、間に廻り込まれ押切りて高の勝は危うかりし。
・北海に小天龍は休み。
・増田川に高浪は、増の左差しを高は巻き上手捻りを試みしも増は体を寄せずかえって落とさんとするもまた効かず、再び増の引落しを高は付け入り押切らんと進む鼻を捻って増の勝は面白し。
・大纒に唐辛は、立上り唐は大の左を取って一本背負に行くも大は動かず上から押した力に唐は腰砕け、九日間八日の負けにて引込んだり。
・狭布里に荒岩は、互いに技者とて一興あるべしとは案外にて、右四ツになるや荒は引きながら掬って見事の勝は一瞬間に観客呆然たり。
・源氏山に海山は、立上り海は左四ツより合掌に仕替え源は上手前袋を引きて揉合しも、解かれて相四ツとなり源は釣って押出さんと二三歩足を運びたるを海は体を落し右上手投げにて海の勝は大角力なりし。
・小錦に鳳凰は、立上りガップリ左四ツとなり錦は右上手に二重にミツを引き鳳右上手を巻きて揉合い、錦一寸釣りを見せたれば寄らず鳳もまた錦の為に充分に差されて仕掛けもならず只土俵の中央に仁王立となりたるまま水となり、のち双方とも仕掛けなく引分となりしは呼吸角カにて興なかりし。
・中入後、朝日嶽に鳴門龍、釣って鳴門の勝。
・御舟潟に勝平は、御舟右を取り左は攻め合い揉み合い、何の妙手もなく引分。
・岩木野に鬼鹿毛は、右差しにて左は攻め合い鬼右を入れるや岩は引落さんとすれば鬼は防ぎつつ左上手より前袋を探る隙を引かれしも堪え、双方押合いとなりついに岩は釣ってもたれ込みて岩の勝は大角力なりし。
・千年川に天津風、千右差しにて左を筈に当てしを天津は勝手悪ければもじって差し手を泉川にかけて押せば、千は振って解くやすぐに一寸泉川を掛くれば天も引掛け捻り合い遂に千年は捻り出したり。
・大見崎に若島は、若出鼻を早くも右にて敵の首を巻き登って右外掛けに行きしも、効かずして掛け倒れ若の負けは見栄えなし。
○角觝雑俎
・大番付を改良せんとの議ある由は既記を経しが、年寄中これに対して異議をさし挟む者多く、切角幕内へ登りたる力士をして直ちにまた幕下へ降す様なる次第にては東京の観客はともかくも地方の人気に障る事多く、自然営業上へ少なからぬ不都合をきたすべければ、当分のところ在来の方針に据え置き漸次改良に向かうよう有りたしと、いづれも哀願に及ぶを以て協会の役員等も情実に繋がれようやく改良励行の方針鈍りしものの如く、目下双方にて示談中。
・当場所における小錦の出来思わしからざるより、むしろ小錦を欄外横綱に落とし関脇朝汐を大関に登すべしとの呼び声多き様なるも、大関の位置は二場所負越しもしくは病気欠勤等の他みだりに貶黜せぬ規定なるゆえ、今回ただ一場だけの不成績を以て突然欄外に落とす事はあるまじく、もっとも朝汐に勝越しあらば止むを得ず小錦を欄外横綱大関に移すべけれど、目下における朝汐の成績にては未だ位置の異動を生ずる運びには至るまじとなり。
○角觝雑俎(1.22)
・今回の大相撲にて全勝を得たる幕下力士は前号の星取表にて明らかなるが、なおこれを摘記すれば御代ノ松、達ノ里、小佐倉、常陸山の四名なり。
・番付外よりようやく序のロヘ出世したる力士都合二十二名あれど、この内将来に望みを嘱すべきものは僅々四五名に過ぎずと、体格非凡なる人間は至って少なきものと見ゆ。
・次場所に幕内へ昇進の力士は玉風、岩木野、常陸山の三名なるべく、幕下ヘ滑り落ちるは一力、唐辛、小天龍等にて、なお改正番付に依ればこの他にも数名あるべしとなり。
・今回における大相撲の収支決算は定規の通り茶屋、桟敷屋よりこの五日間に総勘定を済ますに付き、それを待ちていよいよ精算を発表する事なるが、今概算に因るも一万四千円以上の純益なりとは大したもの。
・十日間の相撲中、九日目までは大入なるに引替え十日目は真正の観客甚だ少なく近所の無銭見物連をもって埋め、いたづらに一日間張合いなき興行をするは今の世に有るまじき旧弊主義につき、十日目を両大関の顔合せに振替えなば九日目も活き、かつ十日目も相応の観客あるべきにと評する者多きは無理ならぬ事ぞかし。
先場所から番付に名前が無かった一力、なぜかこの最終日になっていきなり番付外で出場してきました。場所前の記事などを丹念に探せば何か情報があるかも知れませんが・・一説には収監されていたともいいます。ともあれ引き分け、ブランクの割には相撲を取れる体を保っているようです。大関鳳凰は小錦との大一番に引き分けて土付かずを守り、幕内最高成績を収めました。地味ながらも堅実で取りこぼしの少ない取り口が実を結びました。中入り後にも面白そうな取組があるのですが紙面の都合で読むことが出来ず、残念です。新聞原紙ならば欄外に印刷されているので読むことが出来るのですが、縮刷版では欄外の記事はカットされています。さて今場所は非常に好景気だったようで何よりです。翌日は千秋楽、江戸時代から十両以下の力士しか出場しないことになっていますが、そろそろ改善を求める声も出ています。大関だけでなく幕内全員出場してほしいところですが、この希望は42年の国技館完成までお預けとなっていきます。
明治31年春場所星取表
西大関・鳳凰馬五郎