○回向院大相撲
・昨二十五日(十日目)は早朝より好天気のため相応の大入にて、目出度く千秋楽となれり。
・岩ノ森に梅ノ矢は、梅の内掛を耐えつつ廻り込んで釣出し岩の勝。
・若狭川に照日山は、若下手に入りて押切らんと進むを引落して照の勝。
・磯千鳥に朝日龍は、突き合い朝のハタキを磯残したるが、突きにて朝の勝。
・境嶽に西郷は、境は西の左を手繰り泉川にて撓め出し境の勝。
・淡路洋に司天龍は突き合い突張って淡の勝。
・栄鶴に八剣は、右四つにて挑み八すでに土俵を割らんとするを廻り込み、釣出して八の勝。
・鬼竜山に松ノ風は当日の好取組にて初めて拍手の音も聞こえしが、松立ち鼻をハタキたるを鬼残して押し切らんとするより、松は寄りながらに釣りたれど鬼右足を掛け仕返して鬼の勝は綺麗。
・小武蔵に利根川は、突合い小素早く頭捻りに行くを残され、すぐ突き付けて小の勝は見事なり。
・嶽ノ越に緑川は、差しの押合い嶽の足すべり踏切って嶽の負け。
・稲瀬川に常陸山は、稲脇ミツと前袋を引き常は閂に絞り、解れて右上手を引きて挑みしが、常はあくまで歩を譲りあえて仕掛けず、水入後引分は常の愛嬌を賞せざるなかりき。
・中入後、朝日嶽に高千穂は高の左差しを朝は巻き左筈にて挑み、解れて左四ツとなりすぐ朝は寄切ったり。
・是より三役、成瀬川に岩戸川突き合い突き出して成の勝。
・國見山に谷ノ川は烈しく突き合い國は二三度張って谷の出鼻をハタキ込んで國の勝。
・鶴ノ音に甲は、右四ツより鶴右を差せば甲は二本に脇ミツを引きて挑みしが、遂に相四ツとなり互いに仕掛けも出来ず、水入後取り疲れ引分にて千秋楽となりぬ。
○力士放駒の末路
・今を去ること四十年前、江戸相撲の幕下三枚目に放駒と呼ぶ力士ありし、静岡県岡部宿出生にて本名を小畑徳次郎(本年六十九歳)と云い、一時は場所の人気取り相応に腕を鳴らせし男なれど、誰にも大敵なる年の関と顔合せ一年毎に敗が込んで維新の後は土俵を去り、全く素人の身となりたり。
・さて放駒の昔仲間の力士と連れ立ちては吉原の廓通いにいつも立寄りたる田町の引手茶屋某方におまさ(本年六十七歳)と云う娘あり、放駒の徳次郎が力士気質のさっぱりしたるに思いを掛けついに二人は夫婦となり、おまさは別に一軒の引手茶屋を開業し、共稼ぎに日を暮らすうち、放駒は力士をやめ夫婦の間には長男寅蔵(二十)長女おふくの子供も出来て、追々暮らし向きも骨の折れるに詮方なく引手茶屋をも廃業し、寅蔵は或る人の世話にて浅草西仲町の足袋屋某方へ奉公に住込ませ、おふくには因果を含めて吉原江戸町の芸者屋山田屋へ芸者に売り、その金にて夫婦は江戸町へどぜう屋を開き最初はすこぶる繁昌し、またおふくも名を小福と呼びて見番の流行妓となり月々いくらかの小遣い銭をも送り越したれば、徳次郎おまさの夫婦もホット安堵し暫らく息をつきたるが、不幸にも小福は八年前二十一歳の花の盛りを病気のために折り去られあの世へ出稼ぎする身となり、且つどぜう屋の店も次第に衰えそれこれにて店を畳み、ひとまず同区金龍山下瓦町二十一番地の長屋を借りて侘び住まい、他日の運を待つ甲斐もなく貧しさはいとど募りて弱り目に祟り目とやら、徳次郎は昨年の暮より病気となり、とる年の元気もなければ昔の面影もさらに残らず、姿は同じやつれ果てたる女房おまさが朝夕の介抱その隙には煙草の葉巻きを内職として僅かの賃銭に辛くも南京米の粥をすすり露の命を繋ぎ居れり、かかる中にてせがれ寅蔵の不埓なる早くも主家の足袋屋を飛出し勝手次第に諸所をうろつき、その身は麻布三連隊の後備兵なりしかば、二十七八年の役に従軍したる功により一時賜金二十五円の恩賞に預かりながら親元へは一文の送金もせず、みな遊興の資に遣い捨て目下は朦朧車夫の群に入り賭博と遊興にふけるのみか貧しき両親を脅しては只一枚の衣類さえ奪い去って金にする不孝無道の悪行に、父はもとより母のおまさは涙に暮れ、昨朝その筋に出頭しせがれ寅蔵への説諭を願い出でしとは昔に替わる夫婦が落ち目気の毒と云うも愚かなり。
千秋楽は十両までの取組ですが有望力士も多く出ており客入りは良かったようです。常陸山はここまで9日間で幕内8人を含む全員を倒して9連勝、千秋楽は十両の稲瀬川戦ですから楽に勝てそうでありますが、仕掛けず引き分け。千秋楽なので遊んだということなのでしょうが、愛嬌があるとして観客から賞賛されています。現在なら無気力と言われるか八百長と言われるか、このあたりは時代とともに相撲の見方も変わるということです。全勝という快挙をいとも簡単に手放してしまうあたり、大物ぶりを示していると思えます。國見山もこれより三役で結び前に登場して快勝、来場所は番付を上げてくるでしょう。記事の方はある元力士の老後の話で、娘が早逝して息子は親不孝、貧しく暮らしている夫婦とのことであまり楽しくありません(;・ω・)
明治31年夏場所星取表