・昨日、回向院十日目の相撲は見物六百十二人。
・中入前、小武蔵に藤ノ戸は立派に立合い、小武蔵は立際右を差さんとせしはずみに乗じ、藤ノ戸はこの手を引掛けて持出さんとせしを、小武蔵は回りて「タスキ」に掛けしかど、最早土俵のなかりしかば押し潰されて藤ノ戸の勝となりたり。
・菊ヶ濱に伊勢ノ濱は気入りて立合い、伊勢ノ濱は相手の左右とも引張り込み、しかと絞りて十分に閂を掛け、一振りに振り出し伊勢ノ濱の勝となれり。
・中入後、勇山に宮ヶ崎は難なく立合い、宮ヶ崎は相手の右手を引張り込み上手となりしに、あわや釣られんと思いのほか引張り込みたる相手の右手に「ナタ」を掛けて「ツッパル」にぞ、勇山はほどかんとすれども、差せし手は廻しを取り居るなれば放さじと堪えしかど、遂に支え難く廻しを放すと見えしが、宮ヶ崎は其のまま「トッタリ」にて見事の勝を得たり。
・三役のうち小結は大ノ川に泉瀧、立合申し分なく大ノ川は首投を仕掛けしに腰の浅かりしにや、腰を折りて押し倒され泉瀧の勝となり。
・関脇は大和錦に藤縄にて、はでやかに立合い藤縄は始めより受け手となり、三四度まで突掛けられ又は弾かれ余程危うかりしが、体を沈めて足に掛からんとせし時、大和錦は得たりと押し潰さんとせしを、藤縄は早くも体を引きしに、大和錦は空にもたれ前へのめりて藤縄の勝とはなれり。
・打止め大関は大達に日下山、立合申し分なく二ツ三ツ押し合ううち大達は一声叫んで鉄砲を呉れしに、日下山は手もなく突き出され大達の勝となり。
・弓取の役は今ヶ嶽が花やかに之を勤め、当所晴天十日の間今日大関に叶う大達と名乗を受け、其の他礼式形の如く目出度く打出しとなれり。
・梅ヶ谷と若島は二行に分かれ横浜にて興行し、また手柄山と境川の大関にて越後地方に至るとの事。
さっそく巡業の告知が出ていますが、昔は本場所が年2回しか無い代わりに巡業が多いです。また都内やその周辺で行う花相撲も多く、本場所の直前や直後にも開催されたりして力士達は結構忙しかったようです。境川(さかいがわ)は引退しましたが巡業に参加です。現在でも引退直後で断髪前の横綱が花相撲で土俵入りを披露することがあります。
明治14年夏場所星取表
元横綱・境川浪右衛門