・(中入前)海山に九紋竜は、至極念入りてなかなか立たざりしうち九紋竜は「カタク」なり、暫くしてやっと立上り腹立ち紛れ海山の横面をしたたかに張りしが、海山は別段気にも掛けず押切りて勝はさもあるべし、この海山は大坂にて今度大関に昇進するはずのところ何か故障ありて邪魔をされ不服にて東京相撲となりしやに聞く。
・関ノ戸に中津山は突掛け中「はたき込」て中津の勝は又しても大出来なり。
・鞆ノ平に伊勢ノ濱は「寄」て鞆の勝。
・剣山に武蔵潟は武蔵ちょっと立ち後れしも難なく敵を引受けたり、ここにて立つは武蔵のため不利と思われしが案の定見る見る寄られて武蔵潟はここを大事と一心に防ぎ、押かえして「左四ツ」となり土俵際にて「投」を打たんとせしが、ついに剣山の「投返し」に掛かり剣山見事の勝を得たり。
・緋縅に西ノ海は当日一の取組なり、直ぐに立上りて突掛け合い組まんとしては又分かれ、互いに組入るべき機なく西ノ海は左を敵の右と殺し合い、又右に敵の左を殺して土俵真中に突立ちしとき水となりしが、緋縅に痛ありてソロソロ土俵を下る折しも、西ノ海は後ろの方よりオイもう一番、と戯れながら腕を取りて引張りし時、緋縅が振り返り西ノ海の顔を見てニヤリと苦笑いせしはあの人だけに得も言われぬ可笑しさありき。
・其の次は梅ヶ谷に一ノ矢なり、双方念入りて立合いすこぶる手間取りしが数回仕切直し辛うじて立ちたるは無理ならず、敵は無双の梅ヶ谷この相撲に勝ちを取たらば、と一ノ矢が心の中思う様子の自然と表れて観客贔屓の声を増したり、かくて一ノ矢は一生懸命荒れに荒れて突掛け実に必死の振舞いなるにぞ、場内は割るるばかりにどよめき渡りひとかたならぬ騒ぎなり、この時両力士は互いに組みも組まれもせで一ノ矢取り疲れたる様子なりしも、油断せず小手先に突張り合い唯々相撲を大事になすうち水となりしが、一ノ矢に痛ありて引分は、よく此処まで取りしと観客は誰も誉め称えり。
・柏戸に立田野は小手先の「せり合う」うち水となり立田野に痛ありて引分。
・高千穂に出釈迦山は「左四ツ」にて高千穂に寄られすでに「踏切」るばかりの所にて「ウッチャリ」出釈迦の勝は出来たり。
・友綱に大達も立合すこぶる念入りしが、こは大達が馬鹿にしたる「仕切」り方に友綱の気合悪しく容易に立たぬ事と思われたり、もっとも大達の内心は馬鹿にするにはあらずして其の実あくまでも呑んで居る風を見せて敵に臆心を起こさせついには不覚を取らせんとのごく卑怯の策ならん、さて立上り突掛けて友綱は後ずさりせしがまた大達を押返し土俵際に至りて大達が左を差し「スクイ投」を呉れしに団扇は友綱に上がりたり、是は大達が「スクイ」し前にちょっとの踏切りありし故とかにて物言い付き預りとなりしが、正しく友綱の勝なりと或る人は云えり。
・手柄山に井筒は「踏切」て手柄の勝。千羽ヶ嶽に浦風は「寄り」て千羽の勝。
・大鳴門に常陸山は、なかなかの大相撲となりて揉抜きて後「投」を打ち大鳴門の勝。
・上ヶ汐に楯山は、楯山が遮に無に「押行」きしに腰くだけて自ら体前へ流れ上ヶ汐の勝となりしが此の時は早や日も暮れて「決まり手」はしかと見分けかねたり。
海山がついに登場しましたが強いですね(;・ω・)東京では三役までは上がれませんでしたが、のちに友綱部屋を率いて横綱太刀山らを育てた人物です。西ノ海は新関脇。緋縅に逃げられて痛み分けとなりましたが、緋縅は丸い体で見るからにユーモアがあった人なのでしょう、悪く書かれることはなく得をしていますね。
明治17年春場所星取表