・昨日九日目の相撲は、いつもの九日目とはズッと違い大入りというて可なり、且つ日末ながら西郷山田両参議を始め参事元老両院の議官方も来観ありて、いとも景気よかりし。
・(中入前)平ノ戸は野州山に、千草山は柏木に、藤ノ戸は兜山に、綾浪は伊勢ノ濱に勝。
・さて幕の内に移りて清見潟に廣ノ海は、清見が右を差して来るを「泉川」に極め放して廣の勝。
・荒飛に一ノ矢は、左を差し「掛投」て一ノ矢の勝。
・剣山に千羽ヶ嶽は、「左四ツ」より「出し投」て剣の勝。
・次は梅ヶ谷に西ノ海なり、名乗と共に涌き出でたる喝采の声かまびすしく、之までになき人気なりし、他ならず二日迄敗を取りし梅ヶ谷今日もどうかと観客が心に思う故ならん、さる程に力士は立上り突掛け「左四ツ」となり互いに相撲を大事にためらううち水入り、後もこの手にてちょっと揉出でしとき東西の溜りにいたる千羽ヶ嶽一ノ矢等が手を上げて引分を行司年寄に勧むる途端「引落」しに掛かりて西ノ海の体流れ梅関の勝。
・(中入後)立田野は達ヶ関に勝。幕に移りて、常陸山に稲ノ花は「一突張り」して常陸山の勝。
・柏戸に海山は、念入りて立上り跳合いて「左四ツ」となり、海山上手を引き遮に無に「釣出シ」て勝。
・高千穂に鶴ヶ濱は、高の右を「泉川」に極め揉合いし末、泉を崩し「出シ投」となりて鶴の勝はなかなかの喝采を受けたり。
・上ヶ汐に武蔵潟は、武蔵が付けじと小手を動かせし甲斐もなく、ついに上ヶ汐が右を差したり、されば武蔵潟も右を差しすなわち「右四ツ」となりて揉出でしとき、上ヶ汐は例の「カワヅ」にて馬大的の武蔵をヒックリかえせしは是また見事の腕前。
・さてその次最後の相撲は何かさて大鳴門に大達なり、土俵に上がるや大鳴門大鳴門と叫ぶ観客多し、人情は妙な物で梅に勝たる大達なればどうか大鳴門に花を持たせたしとは弱きを助ける江戸ッ子の気質ならん、さても両力士は十分仕切て大鳴門が立掛けし時、大達はちょっと立ちおくれせし如くよそ目には見えしが、是れ大達の持ち前にて怪しむべき事にあらず、勝ち誇りたる大達が遮に無に「押切」らんと突張て行くを大鳴門は防ぎ得ず「腰を砕き」て難なく大達の勝となり連日の功を称する声は又一層の雑踏を添えたり。
この場所の大達は梅ヶ谷に勝ち、8勝で相撲内容も圧倒的、地位は小結ながらファンも本人も次期大関は間違い無しと思っていたようです。江戸時代以来のやり方ならば年功もあり成績も悪くない大鳴門が次期大関となっていたでしょう。しかし明治15年から本場所成績を重視する番付編成に変わっており、大達が一気に大関昇進と考えても無理のないところです。三役で活躍してきた武蔵潟はどうも衰えが顕著になってきたようです。
明治17年夏場所星取表