○回向院大相撲
・昨日回向院四日目の相撲はいよいよ大入にて、観客はただ無数と言わんのみ。
・我が社員は例の通り出場して其の取組景況を筆記に掛かる折しも、あれ一人の相撲来たりて、毎日新聞の社員へ面唔を要する儀ありと只今議官諸君の申し聞けられたればお呼び申しに参りぬ、と告ぐるにぞ、社員は心に思う様さては何か筆のついすべりし事共ありしなるかと恐る恐る案内の所へおもむきしに、一座は是れ柴原議官を始め三四の紳士居ならびてありけるにぞ、今にもお目玉を頂く事ならんと思いの他、近頃毎日新聞の相撲記事はすこぶる細密にして好角家には至極悦ばしき儀なり、と案に相違のお褒め言葉を頂戴し、大達が土俵に上りし時のように肘を張りて悦びながら座を辞せしは自分ながら大きに手柄相撲の形ありしと、帰社しての物語には兎に角無事にて安心せり。
・さて取組に移りて千年川は松ヶ枝に、大纒は山響に、二本松は武蔵野に、三吉川は四ツ車に、器械舟は八ツノ浦に、剣島は五十崎に、勢力は荒玉に、泉瀧は龍門に、兜山は響洋に、早虎は取倉に、白梅は黒雲に、萱田川は島田川に、浦湊は達ヶ関に、いずれも勝。桐山は和田ノ森を押切て勝。
・立田野に中津山は、双方ともに小さいながら体格と云い技量と云い達者相撲と名を取りたる釣合の取組なれば、立合申分なく立田野は中津山の左を泉川に極め、是れよりもつれて投げもまれヒネリもまれ四十八手を取り尽くせしも何さま勝負のあらずして、ついに小手先のせり合にて水の入り、後なお勝負なく引分たるは近頃感心の相撲なりし。
・八幡山に九紋竜は、八幡山二本を差し右に前袋を引き攻め立つるに、九紋竜は咽喉管も掴み切らんとするばかりに手ひどきナタに攻め立て、互いの耐忍見えたりしもついに櫓に掛けて八幡の勝。
・出釈迦山に伊勢ノ濱は、左を差して寄来る伊勢をカタスカシに掛て出釈迦の勝は見事見事。
・清見潟に手柄山は丁度釣合の相撲にして、いづれをそれと知らざりしが寄り身にて手柄の勝。
・常陸山に鞆ノ平は、左四ツにて鞆ノ平上手を引き遮に無に寄り行く途端に常陸山は打チャリしと思いしに、此の時鞆の方に団扇の上りたり、されど物言付いて預りは常陸の物言無理なき様なり。
・高見山に友綱はハジキ出して高見の勝は美事にして、久々の十八番を拝見つかまつる。
・緋縅に大鳴門は、大鳴門が左を差して来るを心得て緋縅カンヌキに極めたり、此の時大鳴門は何でも寄て相撲にせんと一心不乱に寄行くを、緋縅が大きな腹でタメながら防いで残れば又た寄来る大鳴門が差し手を見るに、上下ともに引き居たるは三ツに換えたる腹の皮、ギュウギュウいう程引き立ちしは随分痛そうに見えたりし、されど緋縅は西に東に体をかわして二三度も残りしは其の耐忍の見えたれど、ついに踏切り大鳴門の勝。
・西ノ海に柏戸は休。
・(中入後)平ノ戸は泉川を乗り掛け、藤ノ戸は三日月をハッテ押切しは得意とはいえ後にて藤ノ戸の手がしびれしを見れば三日月はさぞ痛き思いをなせしなるべし。
・綾浪に嵐山は至極取組の面白く、まづ左四ツとなり綾浪は右に前袋を引き寄りながら土俵際にて前袋を引きたる右を放し渡し込まんと足に行くため前に力の入りし時、カタスカセに掛て嵐山の勝は感心。
・入間川は千勝森を蹴タグリて勝も、著しの得意と知られたり。
・鶴ヶ濱に増位山は右四ツにて増位山下手を引き、鶴は上下ともに引きつつ一心不乱寄り行き、増位が既に踏切しかと疑ふ折しもウッチャリしが鶴に団扇上りたり、それより物言い付き是非なく預りとなりしが、さして無理の物言にてはあらざりし。
・廣ノ海に知恵ノ矢は、カワズに掛て知恵の勝は如何さま巧者の相撲なり。
・千羽ヶ嶽に浦風は、左四ツにて寄り来る千羽ヶ嶽を逆にも右にて首捻りに掛け勝を得たるは、流石一度関脇まで上りし相撲だけ年は取りても元気の取口とや申すべし。
・高千穂に綾瀬川は観客が待ち設けたる相撲にて、名乗と共に喝釆一方ならざりし、立上るや高千穂は右を差してミツを引き左をハヅとなす、綾瀬川は高がハヅに構いたる左をわが右に巻き、敵がミツを引き居る右をわが左に抜き上げつつためらいけり、かくて高千穂は揉出でんとする事たびたびなるも綾瀬川は如何な動かず、互に隙を伺ううち水となり後、なお此の手にて勝負なく引分けたり。
・海山に剣山は、押切て剣山の勝。
・大達に上ヶ汐は、大達が例の通り拳固を二つこしらえ前へ出して仕切るゆえ、上ヶ汐は立ちかねて度々拳固を制するも止めずついには面倒という所よりヤッと立ちながら此の拳固を引張り込みて一本ショイかタスキにでも抜けようと立上りしが、そうは行かず押切られて上ヶ汐ツブレ大達の勝。
・一ノ矢に梅ヶ谷は大相撲、一度水となりし後なお勝負なく引分となりしが、最初より小手先にせり合い手車より離れては突掛けたる一ノ矢が手足の動きは近頃目覚ましき気力なりし。
○祭典相撲
・野見宿禰神社祭典相撲は、いよいよ大場所打上げ次第一日おきて直ぐに興行の由、昨日より神社前において切符売捌きを始めたり、流行の今日ことに大達綾瀬川の取組ありといえば一層の気入にて、切符申込人すこぶる多くこの分にてはたちまち売り切れるならんという。
記事前半に勝敗だけ書かれているのは十両よりさらに下の幕下の取組結果です。当時の相撲記事は現在の一般紙の記事よりも詳しいと言って良いのではないでしょうか。力士のコメントなどが全然ありませんが、もう少し時代が進むと支度部屋の風景なども記事にされるようになり、もっと面白くなってきます。緋縅はアンコ型だけに腹の肉をつかまれやすかったのでしょうか。ギュウギュウ引っ張られたうえ負けたのでは気の毒です。
明治18年春場所星取表