○回向院大相撲
・一昨日同所六日目の相撲は、顔触れの宜しきと日曜に当りしとを以て朝まだきより押掛たる観客の数はまづ小一万もありしなるべし、さりながら午後よりの降雨に付き既に入掛ともなるべきの所、土俵入り後の事なればとて無理に相撲を取りしゆえ、皆な心せわしく取り仕舞いを急ぎて午後三時頃には打出せり。
・(中入前)青木川は松ヶ森に、吉ノ山は響洋に、松緑は因幡山、百瀬嶽は浦島に、錦嶽は松ヶ枝に、黒龍は雷ヶ嶽に、朝日山は山分に、柏原は山響に、山ノ上は甲潟に、照ノ海は二本松に、雷震は柏木に、三芳川は五月山に、大纒は栄松に、四ツ車は剣島に、荒玉は小島川に、千年川は器械舟に、それぞれ勝。
・幕の内に移りて緋縅に手柄山は、突掛て左四ツとなり緋縅が遮に無に寄らんとすれば、手柄山は術を尽して左右に体をかわしつつ寄せじと争い揉合い、一寸は勝負の付かざるより一杯入れる所なりしも、折せつ降雨の事なれば水なくして急ぎ引分しは手柄の耐忍に感心せり。
・廣ノ海に友綱は双方日の出の若相撲、随分花々しき取口なりしも右四ツにて寄り友綱の勝。
・千羽ヶ嶽に知恵ノ矢は、ヨイショと立て右四ツになりしが千羽は釣らんという気組も、わざ者と呼ぶ知恵ノ矢が上手を引て足クセを巻き、モタレ込みての勝を得たるは御手柄御手柄。
・高見山に上ヶ汐は小手先のせり合より暫らくいどみ、又突掛くる上ヶ汐を高見山がハタキに掛けしが残り、途端に泳ぎ込んで足を取り上ヶ汐の勝は妙なり。
・一ノ矢に大鳴門は右四ツにて大鳴門が一寄せんと金剛力、土俵の際に寄行きて一ノ矢があわれ踏切らんと危うく見えし所、切返して一ノ矢勝を得たるは大喝釆を博したり。
・西ノ海に鞆ノ平はまづ申分なき取組にて、名乗上るや場内の雑踏云わん方なかりし、先づ力士は仕切見事に立上り、西ノ海が得意といえば皆ご案内の泉川を敵の左に極めつつも締め上げては極め出さんと攻め立てしが、鞆も流石にわるびれず防ぎ残りて水なりしが後同じく泉川にて果てしのあらずしも引分は惜しかりき。
・海山に伊勢ノ濱は海山得意の右を差せしに、伊勢も同じく右を差し四ツに渡って揉みながら、海山左に敵の差し手を押さえつけ寄って勝は別に評なし。
・清見潟に浦風は、直ぐに押切て清見の勝は元気と云うべし。
・常陸山に近頃評判の綾瀬川も、右四ツより常陸が首投足クセ等しばしば相撲を仕掛しも綾瀬は防いで皆な残し、今度は常陸が小手投に来るをここらでよかろうと小手を預け突張て勝は、重ね重ね御手際の宜しき事。
・さて其の次は大達に剣山、コイツはどうもたまらぬと後ろの方の観客は伸び上がりて前を制し、ヤレ頭が高いイヤ帽子を取れと呼ばわり立てれば野次馬連が敷きぶとんを投付るなど、人浪打ちたる場内の騒ぎ近頃稀の雑踏なりし、其内にヤッと云いざま立上り力士は互いに突掛て気をうかがい、ただ小手先のせり合にて手車引いて立ちたりしが、大事の相撲と八方に心を配れば疲労も多く、ついに水となりし後は手車をほどき左四ツとなりしにぞ、こはここで剣が一番上手を引いたら果たして妙な相撲にならんと気遣う観客瞳を据えて見てあれば、剣山はエイヤッと巻き投げせんとの勢いなり、此の時大達の体はウネリて危うく見えややという内に残って同じく左四ツ、又も剣が仕掛けんとする時に大達は左を敵の右脇に当てがい押切て勝を得、是また一大喝釆を博したり、是れにて当日の相撲を打出したり。
・なお昨今の両日は前日の降雨にて場所の濡れたれば、休んで明日開場する由なり、もっとも梅ヶ谷は風邪にていま一日休むとの事。
○祭典相撲
・野見宿禰神社祭典相撲については既に桟敷土俵等も出来せり、いづれも丈夫の切組にして桟敷の如きも臨時其の節々取設けるに及ばず、何時の用にも供し得るの趣向にて行き届きたるものなり、右に付き相撲中よりは九百円を奉納し又た貴顕紳士の寄付も多く、根津八幡様よりは百円を寄付したり、開場の当日は各宮方を始め大臣参議の来臨を仰ぐ趣きなりと。
星取表を見ると、この日だけ十両力士が一人も出場していません。雨のために取組をスッ飛ばされた模様です。午後3時に打ち出しとは(;・ω・)屋外興行のため大雨が降ると桟敷や座布団が濡れて2~3日開催出来ないこともあるわけですが、1月場所は寒くて降雪する時もある、5月場所は少し開催が遅れると梅雨にかかる、他に良い開催時期は無かったんでしょうか。
明治18年春場所星取表