○回向院大相撲
・昨日同所七日日の相撲は引続きし大入にて、桟敷より土間に至るまで立錘の地だにあらざりき。
・(中入前)玉桂は八ツノ浦に、白梅は田上山に、四剣は五十崎に勝、相川に越川は引分、山ノ音は鳥ノ海に勝、朝日嶽に泉川は引分、竜門は勢力に、梅ノ春は取倉に、泉瀧は兜山に、藤ノ戸は司雲竜に、綾浪は菊ヶ濱に、八幡山は浦湊に、入間川は和田ノ森に、岩ノ里は中ツ山に、平ノ戸は立田野に勝。
・嵐山に鶴ヶ濱は申分なき取組にて人気十分なり、嵐山は左を差し鶴は左をハヅに構いて嵐が寄り来る所を土俵七分において敵の左をコジ上げながら右を差すや否やスクイ投て鶴の勝は賑やかなる相撲なりし。
・九紋竜に三日月は出し投て三日月の勝。
・幕ノ内になりて伊勢ノ濱は清見潟を押切て勝。
・さてこの日初めて現れし勢に海山は、海山右を差し押切て勝。
・浦風に廣ノ海は、右四ツにて廣ノ海は寄行くを浦風が十八番の首投にて既にこうよと見えたるも残る途端、廣ノ海押切て勝は血気の働きなり。
・そこで綾瀬川に一ノ矢の土俵となれば場内は雑踏云うべからず、一ノ矢が仕切て待てば綾瀬川は気合を待ちて容易に立たず、仕切直す事五六度に及びたり、やがて気合相叶うやヤッと云いざま突掛て、すぐ左四ツとなり空き手は互いに差し手を巻き、一揉みして綾瀬川は両差しとなり左右ともムンヅとみつを引きたるにぞ、さては一ノ矢の仕合せ悪ししと観客が油断スナ一ノ矢と叫ぶにつれて綾瀬川そこで極メヨとわめくあり、龍虎の争い勇ましく暴れながらに一ノ矢は敵の左をしかと取り腰を切れば綾瀬が差し手は抜けたりき、此の時すかさず一ノ矢は付け入って寄りたるに、綾瀬はちょっと踏切しが勝負アッタと行司の言葉もちょっとは耳に入らずしてなおも揉合い、土俵際にて綾瀬が首投に来る所を一ノ矢が突張れば綾瀬の体流れ一ノ矢勝を得たり、此の時に至り先に勝負ありし事が分りしほど一生懸命の相撲にて、一ノ矢一ノ矢と鳴り渡り土俵目がけて投付ける纒頭の数さえ多かりし。
・友綱に常陸山は、立合中跳ね負けて友綱の勝。
・大鳴門に大達は、例の通り大達が中腰に仕切しにぞ大鳴門も心得て同じく中腰より立ち突掛しが、如何にせん大達が左手に敵の首を掴みヒネッて勝はあんまりひどい。
・知恵の矢に高見山は、高見が右を差さんとするに知恵の矢は巻込んで例の足クセに行かんとする気込みを、高見山はそれと知りしや途端に体を返して左に上手を引き、出し投を打ちしに、同体の如く見えしが団扇は高見山に上りしにぞ、物言付て預りとはなりにき、此の相撲は実に筆記に苦しむほど難しき勝負にて、今一二分遅かりしなば団扇は知恵の矢に上るなるべし、何に致せ物言いの起こる相撲ならん。
・手柄山に千羽ヶ嶽はちょっと突掛けて左四ツになる時、手柄山がスクイ投に行きしに、此の投は崩れしもスカサズ寄て手柄の勝は、近頃の上出来。
・上ヶ汐に緋縅は、緋縅が差さんとする左を上ヶ汐は右に巻き込て殺し、上ヶ汐がハヅに構いたる左を緋縅は右に巻き込み、寄り身に来るを上ヶ汐は只だ防ぐのみにて水となり、後一度離れしも又々元の如くにて引分となりしが、緋縅の方勝気の様に見えたり。
・鞆ノ平に高千穂は、鞆ノ平が左を差して寄来るに高千穂後づさり今踏切るばかりの時ヒネッて高千穂の勝となりしは、鞆がハヅンで上ズッタル為ならん。
・剣山に西ノ海は、剣が十分という左四ツにて上手までひき両三度も投を試みしが、西ノ海も一心防いで残り水となり、今度は西より相撲を仕掛け一揉みして上手を引かんとする時、引分よと溜まりの言葉によりて分けに掛るその途端、西はまんまと上手を引きしも早や詮方なく引分となれり。
○合併相撲
・来る二月一日より同十四日迄(雨天を除く)赤坂一ツ木町三十二地、浄土寺境内において東京大坂合併相撲を興行する由、東京方は大関千羽ヶ嶽、関脇緋縅、小結廣ノ海、前頭海山、鶴ヶ濱、八幡山、三日月、白梅、大坂方は大関八陣、関脇猫又、小結雲鶴、前頭六ツヶ峰、勢力、岩ヶ谷、虎林、加賀林なり。
観客がご祝儀を土俵に投げるという光景は記事では初めて出てきました。昔はこれが懸賞金のようなものだったのでしょう。明治42年に国技館が出来た時に禁止されました。大達を倒して名を上げた綾瀬川にも初の黒星が付き、ここまでの好成績者は1敗の大達、1敗1分の剣山くらいで新大関の西ノ海は3日連続の引き分け。梅ヶ谷はまだ引退せず今場所も出てきましたが体調不十分のようです。
明治18年春場所星取表