○回向院大相撲
・昨日の九日目は幕の内の取り仕舞いにて、其の組合わせも至極宜しく一しおの景気にてありし。
・鬼ヶ谷に八幡山は念入れて容易には立たず、それというも鬼ヶ谷は此の一番の相撲に負けるは給金五円の相違にて十両相撲となり、勝つに於いては十五両の相撲となる訳ゆえ急に立たれぬも尤もなり、さて兎角に評するうち立上り、鬼ヶ谷は矢声と共に左を差し押切るか寄り切るか早く相撲になさんものと突掛け出る其の時、八幡は後づさり西の土俵に近付くとき鬼ヶ谷が一心力を入れたる左手を押さえ右に力のゆるむ所をいたく蹴返して八幡の勝は鬼ヶ谷の仕合せ悪しく八幡山の上首尾なりき、尤も八幡にある手なりき。
・海山は突張て出釈迦山に勝ち。
・武隈は寄て緋縅に勝ちしは実に案外。
・上ヶ汐に高見山は小手先のせり合より双方が術を以て防ぎ水となり後、同様に引分けは上ヶ汐自身を保護して相撲を好まぬに依るなるべし。
・鞆ノ平に高千穂も先づ前の顔触れ同様に鞆ノ平が相撲を好まず、小手先だけにて水入後引分たり。
・さて数々を取り尽くし中入前となった剣山に大達は当日の人気、大達に六分位の強気にてありしが、兎に角二三年前を申さば大達が勝ちたる事のなくニガテたる剣山、殊にいよいよ双方大関となって初場所のみなれば剣も勝つ手を付けて取る事ゆえ面白き相撲ならんと人皆な瞳を据え居たり、両力士は十分仕切て立上る此のとき大達はちょっと立ち後れし様に見えたり、されば剣山は左をヤッとハヅに構い、直ぐ押切らんと突上げる具合にて押行けば、大達は行司溜りへ近づきて早やあとわづかとなりけるに、そこは大変と必死に防ぎここを残りて争いざま今度は剣山が受け身となるを大達はアテガッて前へ前へと出て来るを、剣山はここで宜しと機を伺い、突き落しを試みしに見事キマッて大達の体流れ剣山の勝となり、場所は割るるばかりの騒ぎにて衣類は勿論シャッポまでが土俵へ降りしは勇ましくもまた愉快なる有様なりき、ただ此の相撲剣山は両手をハヅに構いてあれば突落しもちと十分に申されず、又巻落したるの工夫なくいづれ巻落し突落しの中間を以て考うべし。
・中入後、嵐山に鶴ヶ濱も申分なき取組にて、鶴が突掛る左を嵐山は心得泉川にキメ一際強く引立て極め出さんとなしたるも、鶴は一心防いで残せば嵐山は此の手ジャ行かぬと左手を伸ばし前袋をしっかと取り、右を差して引立て寄るを鶴は右上手に前袋を引き左を差して揉んだりや、甲乙互いに力量と云い術と申し、いづれ優劣の分なく必死となりし大相撲にて水となり後、双方互角に仕掛て嵐は右上手をさえ引き、又も数度大揉みせしが双方残って勝敗見えず引分けたり、此の立合には好角家が腹を断つの思いありき。
・知恵ノ矢に一ノ矢は、知恵ノ矢大事を取りしも一ノ矢寄倒して勝を得たり。
・柏戸に千羽ヶ嶽は、柏戸の左差し手を千羽がきめて持て行こうというを、柏戸は差し手にミツを引き右をハヅに構い、腰を落して防ぎつつかなり大相撲となって水、のち千羽は左上手にミツを引き、後右上手に前袋を引き即ち上手両ミツを引いて是から得意の釣出しをという所なるが、引廻しは左右とも一重なれば追々ゆるみて柏戸の乳の辺までズリ上がりしに、望み叶わずついに分となりしが、先づ大相撲と申してよからん。
・常陸山は、友綱が突掛て来る三度目をハタキ込で勝はお手柄。
・大鳴門に西ノ海は、各場所の取口同様西は泉川一方、大鳴門は右にて極められた手を助けながら寄を試み、大鳴門のきめられたる左が紫色に変ずるまでの大相撲にて、水の分は至極よろし。
○相撲興行
・明くる二十三日、靖国神社境内において回向院同様の顔ぶれにて一日間興行の儀を昨日伊勢ノ海五太夫、大嶽門左衛門より其の筋へ出願せり。
鬼ヶ谷は大事な相撲でしたが敗れて負け越し、入幕お預けとなりました。十五両というのは幕内のことでしょうけれどもこういう表現は珍しいです。鬼ヶ谷に勝った足技の名手八幡山は7勝土付かずの好成績で入幕を決定付け、幕内でも平幕の鶴ヶ濱が7勝土付かずで最優秀の成績を残します。両大関も好勝負を展開、決まり手は完全な突き落としとも言えず巻き落としでもなく、その中間だそうです。
明治19年春場所星取表