○回向院大相撲の大紛議
・去る十一日の初日を入掛にしたる回向院の大相撲は、今回年寄仲間に一大紛議を醸生したるがため一昨日の「出直し初日」も遂に全くこれを廃し昨日もなお平和に帰せず到底容易に紛議の解くべき見込なきのみならず、むしろ東西二派に分離せんとするの悲運に遭遇せんとす。
・今その顛末を記さんに即ち下の如し、去る十一日の初日が突然中途より烈風を名として入掛となるに至りしは、西の力士鳳凰がみだりに組替をせられたるを不服なりとし年寄に向って苦情を唱え出したるに原因する旨前号には記したれども、こはたまたま紛議破裂の導火器となりしに止まり、その実別に遠因の存するものあり。
・年寄高砂、伊勢ノ海、雷その他の間には平素互いに威権を争うの傾きありて自づから意見の齟齬する事も少なからず、うわべこそ円滑に見えけれども内情呉越の想いを為しおりぬ、ここにまた西の前頭初筆に坐れる力士鳳凰馬五郎は昨年の大相撲に西ノ海と取組みて首尾よく勝を制したりと思いの外、年寄高砂浦五郎より苦情を起され遂には西ノ海の勝となりしかど、当時の検査役伊勢ノ海五太夫は鳳凰に対し慰むる所あり、たといこの勝負は負となりても給金を増し明年の番附には位置をも誓って進むべければ、必ず不平を抱くべからずと言い渡しぬ、よって鳳凰は大いに望みを嘱しおりしに、さて本年の番付発表となりしを見るに勿論己れが坐るならんと思いし小結の地位を海山に占められ己れはその次席なる前頭の初筆となりおる始末なれば、さては何者か中間にありて妨害を加える者ありと覚えたりとて大いにこれを含みいたり。
・かくて去る十一日の初日に至り東の方の力士には病気欠勤の者多ければとて西の方より鳳凰、大蛇潟の二力士を本人へ無断にて借り来たり東へ廻して大蛇潟は勝平、鳳凰は梅ヶ崎と取組ませたるのみならず、後また前号に記せし如く鉄ヶ嶽と楯甲との取組を変更して楯甲に代わるに鳳凰を以てしたるより、何がな苦情の種子をと捜しいたる鳳凰なれば以ての外、腹を立て断然今度の相撲には出勤せざる旨を申し込み、且つ強いて出勤せしめんとならば無断にて己れを西より東へ廻し更に東より西へ廻したる不都合を年寄中より己れに向かって陳謝せよと主張せり、勧進元伊勢ノ海五太夫はこれがため此の好天気を入掛にしては不人気を来たすの基なりとて心配し、温厚の聞えある年寄両國梶之助をして京橋区本八丁堀なる鳳凰の自宅へ赴むかしめ、辛くも同人を慰撫せしめ更に鳳凰を西の力士として鉄ヶ嶽と取組ましむる事に相談をつけたれども、最早その日の間には合わざるより明十二日改めて初日を出す事に決したり。
・この日高砂は病気にて出勤せざりしより伊勢ノ海ほか二三名が協議の上この取計らいを断行したるものなれども、高砂これを聞いて歓ばず己れに相談なくして事を決するさえ奇怪なるに、あまつさえ力士をして自儘の言い分を貫徹せしむるは取締上大いに不利益なりとて年寄仲間に対し苦情を鳴らしぬ、年寄仲間はこれに答うるに、急場の事にて引籠もり中の貴殿に相談の暇なかりしとの旨を以てすれども、高砂つやつや聞入れず鳳凰を東へ廻して出勤せしむれば勘弁せん、とあくまで己の意見を貫かんとし、力士鳳凰も己は高砂の配下にはあらず仮染めにも年寄荒馬の名跡を襲いおる者にして取締選挙の資格を有すれば、あえて高砂一人に左右せらるべき覚えなしとてこれに降らず、ここに於いて高砂は西ノ海、小錦、朝汐、千歳川、北海、若湊、響升、外ノ海、越ヶ嶽、玉龍、天津風、出羽ノ海、鉞り以下の面々と連署にて欠勤の旨を相撲協会へ届け出て、取締役雷権太夫は高砂一人に権利を振り廻されて堪るものかと敵意を含み我が部屋なる大砲、鬼ヶ谷、唐辛等に令して高砂方の者と交通するを許さず、他の年寄連はつまらぬ喧嘩に日数を費やし四百余名の大飯喰らいをいたづらに遊ばせられちゃァ大変だ、興行中二十五円ずつの給料を取る取締役がこの位の苦情を鎮めかねるたァ何の事だ、と取締一同に向って辞職を促し、検査役尾車文五郎の如きはこれに激して第一番に潔よく辞職せんとて昨朝実印を携さえ協会へ赴きたるも、他に一人の出席者なきよりやむを得ず空しく引取りたりと、而して他の取締役連中は高砂一人こそ内におれ、その余は皆な諸所に密会しては謀議を凝らす事ゆえたまたま仲裁を試みんとする者ありても就いて語らう便宜を得ず、根岸治右衛門、式守伊之助、木村庄之助らの人々は事に与らざる年寄中とも相談し一日も早く開場の運びに至らしめんとて、昨日午前十一時頃手分けをして本所警察署長室田景辰、区長飯島保篤の両氏を訪い託するに仲裁の事を以てしたるに、両氏も快よくこれを諾したれども肝腎の相手なる雷、八角、浦風、武蔵川、尾車などは影を隠して更に面会の便宜を得ず、仲裁者は目下当惑中なりといえり、また昨日の形勢によれば或いは東西分離して二派に分かれ各自一方に旗幟を翻すに至るやも知れずといえり。
さて明治29年の春場所ですが、初日の途中でいきなり中止になってしまいました。元は鳳凰のストライキ行動、先場所西ノ海に勝っていたような相撲を強引に預かりにされたうえ、その見返りに約束されていた昇進話も反故にされて不満を溜めていたようです。初日は東方に休場者が多く、西前頭筆頭の鳳凰は急遽東の力士として西の力士との対戦が組まれました。しかし直前に取組変更されてやっぱり東の力士との対戦、些細なことにも思えますが自分の知らない所でコロコロ変えられてはプライドも傷つくでしょう。間の悪いことに高砂が休んでおり、他の年寄連が高砂への相談なしで鳳凰をなだめに行ったことで話がややこしくなってしまいました。明治中期から昭和初期にかけて大相撲界は近代化を進めたわけですが、それは紛争の歴史でもあります。その始まりとも言えるこの事件、和解の見通しが全く立たず相撲協会分裂も噂されていますが果たしてどうなるでしょうか。