○回向院大相撲
・昨十二日(五日目)は、朝来雪を催すべき空合なりしが、ようやくに持直したると好角家の希望する好取組の多かりしかば各桟敷とも前夜より悉皆売り切れ午前十時頃には立錐の余地なく大入り客止めの好景気なりし。
・怪力に藤見嶽は、怪出鼻を引掛け腰投げを打ちしが、己れと跡流れて藤の勝。
・濱湊に達ノ里は、立ち上り上手投げにて達の勝は未来の荒岩と称するも可なり。
・平岩に小緑は、左四ツ投げの打返しにて平の勝。
・霧島に小石崎は、小左筈にて寄るを霧は右差しにて寄り返す勢いに小危くウッチャりたるが、小の体は先に落ちしと物言い付きて預り。
・磯千鳥に駒勇は、磯の右を巻き左は互いに前袋を引きて引落さんとするも、劣らぬ業ものなればよく防ぎて勝負付かず遂に引分は大相撲にて、観客より分けろの声さえ掛りたり。
・梅林に千田川は、左四ツに寄って千の勝。
・西郷に浪花崎は、西右差して押し切り西の勝。
・尼ヶ崎に若木野は、苦なく突き出して尼の勝。
・岩戸川に小西川は、突き合い岩のハタキ見事に決まりて小西ヘタバル。
・高千穂に荒雲は、高矢筈に寄り進むを荒は土俵の詰めにて一寸耐え捨て身を打ちたるが、荒の体早く落ちしとて高に団扇の上りしが荒はウッチャりしと物言い付けて預りとなる。
・利根川に待乳山は、待二本を差し利は右下手横ミツを取り左を殺して挑みしが、待の下手に利は仕掛くる術なく待は分を待つ如く中央に立ちたるままにて引分は面白からぬ取り口なり。
・淀川に橋立は、右四ツにて橋は廻りて押し詰めんとせしが、淀はもたれ込んで勝を占む。
・鳴瀬川に鳴門龍は、突き合い激しく鳴瀬は鳴門の出鼻をハタキて鳴門は両手をつく。
・金山に淡路洋は手先の競り合い、金は淡の出鼻をハジキたれば淡の腰砕けて脆くも淡の負け。
・甲に嶽ノ越は、突合い甲の出鼻をハタキしより嶽の足流れて嶽の負け、甲の出来は大喝采。
・松ノ風に高ノ戸は、左四ツにて松ひと押しに寄るを高は引落さんとするも余地なく、松より釣り身に来られて他に術なく内掛けにて巻き落さんとするも、松の伸びにて浴びせられて高の負けは是非もなし。
・天ツ風に鬼鹿毛は、左四ツにて鬼二度首投げを打ちしが天ツ残して渡し込み天ツの勝はまづ上出来。
・稲川に八剣は、稲の立ち後れを付け入り突き出して八の勝は実地の力量にはあらねど八の働きなり。
・頂キに小松山は、立ち上り小はハタキて頂の出直す鼻を付け入り左差しの右筈にて押倒し、小松の勝は近頃珍らし。
。越ヶ嶽に不知火は、左四ツに組み不知は右上手を取り越は右を絞りて寄らんとすれば、不知は足癖を試みて挑むうちに相四ツとなり、越釣れども効かず水入りとなり、のち必死と挑みしも勝負付かずして引分は大相撲。
・大見崎に當り矢は、突き立て當の懐に入らんとするをハタキたるが當残して出直るを、大は付け入り右を差し左を前袋に当てて寄り切り大の勝は興味ありし。
・外ノ海に松ヶ関は、外のマッタ数回ののちようやく立ち上り、二三の突合いにて外は突かれて脆くも腰を抜かしたり。
・源氏山に横車は、左四ツより相四ツとなり、横の釣りを源は耐え釣り返して横の耐えるを一寸外掛に左手にてあごを突きて出したる業は余裕あって他に類なし。
・常陸山に大砲は、当日第一位の呼びものなれば場内どよめき渡りてしばし鳴りも止まざる中に、両力士は互いに化粧立ち数回にて念入りに立ち上り、常は左を当て右下手に前袋を取り、砲は左上手に横ミツを取り左を巻きて投げを打たんとすれど、常は動かずやがて砲は左の巻き手を伸ばして後ろミツを取り、引寄せ釣らんとするも常突張りて働かせず、水となりのち勝負付かずして引分は実に大相撲にてありしが、疲れは砲四分、常六分の割に見えたり。
・朝汐に谷ノ音は、左四ツにて挑み朝より寄って打ちたる下手投げ決まりて朝の勝は見事。
・小錦に海山は、立ち上り海得意の合掌にて捻らんとする間に錦は引上げもたれ込んで錦の勝ちなるが、今少し遅かりせば海捨て身で勝つべき色見えし。
五日目です。この時期の記事には幕下の相撲がかなり紹介されていて貴重なのですが、中入後の上位戦などが欄外に追いやられて読めないのは残念です。記事の締め切り時刻の都合などもあったのでしょうから仕方ありません。さて取組は幕尻張出の天津風(あまつかぜ)が渡し込みで勝って3連勝。十両落ち寸前の地位ですから頑張って勝ち越さなければなりません。稲川は立ち合いに失敗して十両の八剣(やつるぎ)に突き出され3敗目。稲川はのちに三役に上がって活躍する力士なのですが、この頃はまだあまり強さを感じません。大一番は常陸山vs大砲、新入幕ながらすでにスター力士となって勝ち進む常陸山と、規格外の巨体と怪力ですべて押し潰す大砲、これは注目ですが結果は引き分け。さすがの常陸山も攻め手なく、大砲もまるで現代の把瑠都のような肩越しの吊り上げまで見せる熱戦でした。
明治32年春場所星取表