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レトロ相撲記事。

明治~大正の新聞記事は大変興味深い情報の宝庫です。味わい深い文体も楽しみながら、古き佳き時代の相撲場風情を満喫しましょう。 緑色の文字は作成者のコメントです。

明治15年春場所3日目 (東京横濱毎日新聞/明治15.1.17)

Posted on 2006年7月13日 By gans 明治15年春場所3日目 (東京横濱毎日新聞/明治15.1.17) へのコメントはまだありません


・昨日三日目の相撲は賽日といい顔触れも宜ければ、見物人四千の上に出でたり。
・番数のうち高千穂に大達は、高千穂が少しく後れて立つと見えしが、大達は押し切り土俵の際にて突き出す鉄砲に高千穂は踏切り大達の勝。
・若島に出来山は難なく立合い、若島が一杯に突掛け来る所を出来山は見事「ハタキ」、若島は前日の如く体を前へ流し、手も膝も砂に付き出来山の勝。
・(以下中入後)立田野に稲川は見事に立合い、立田野は右を差して廻しを取り、左を相手の腋にあてると其のまま押し切りて立田野の勝。
・西ノ海に緋縅は、立派に立合い双方左を差して渡り合いつ揉合いもしが、勝負付かず水入りしに緋縅の方に痛みありて引分。
・上ヶ汐に司天龍は、上ヶ汐余程後れて立合いしが雷の如く荒れて突掛かりしに、司天龍はたぢたぢと後ずさりしアワヤ踏み切らん勢いなれば、土俵を廻らんとなせし機に上ヶ汐は右手にて相手の顎を支え其のまま押し切りて上ヶ汐の勝ちしは是れ「ヤハズ」の一手にして実に目覚ましき働きなりし。

大纒(おおまとい)は年寄出来山(できやま)の資格を取得して二枚鑑札となりました。当時は警視局へ鑑札料を納めて鑑札をもらい、力士や年寄として営業する許可を得ていました。力士としての鑑札と、年寄としての鑑札の両方を持つため二枚鑑札と呼ばれます。大正時代までは二枚鑑札となると四股名の方もだいたい年寄名に改名していました。年寄資格を得るほどですから当然力士としては老境に入っているケースが多いのですが、この日の出来山は奮闘して大関を倒しました。現在でも現役力士が年寄株を取得することがありますが、貸し借りが盛んなうえ鑑札制度も既になく、二枚鑑札という言葉は絶滅寸前でしょうか。
明治15年春場所星取表
幕内格番付外・西ノ海嘉治郎

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