○大達破門の訳
・オヤ大達が師匠より破門を受けたと、これは新年早々の大事変ジャとは昨日相撲好きの人々が我が毎日新聞を見ての評なるべし、いま約に随い聞き得しままの詳細を記さんに、かの力士大達はいかにも力量無双にして昨年の大場所に梅ヶ谷を投げてより東京はおろか日本国中、櫓太鼓の音ならで大達の名の鳴り響かぬという所はなきより、自分もまた満天下わが他に力士なしと十分心に許す折から、本年の改正番付にて大達を張出しの大関となしたるにつき、同人は大に不服の念を抱き師匠の高砂浦五郎に迫りて是非ともわしを真の大関に進めるべし、現在わしより弱き事は知れきって居る西ノ海を正当の大関に置く事やはある、と談判に及びけり、されどこの番付は年寄行司など一同が評議のうえ取り決めしものなるのみか世間にてもこの張出しの大関を設けしは古き例にも叶い、実にしかるべき計らいなりとてこれを賞する程なるに、今となりて改正するは何の理もなき無益の業、到底採用すべき事ならずと云われて大達はとかく心のままならぬを胸くさ悪く思い居るうち、力士中にて今度の事はお前の名前にかかわる事だに是れぎり黙ってしまう奴があるものか、ここは一番度胸を決めてもう一ぺん談判に出掛けろ、と肩を持つものありしかば大達もその気になり、どうありても改正してもらわザー私の心が済みませぬと再び高砂に迫り、果ては腕力にさえ訴えんづ有様にてありしかば、高砂はもはや破門するより他なし、と直ちに大達へ破門状を送り、また高砂門派の力士九十五人は師匠に向かって無礼をせし大達なれば、如何なる仲裁を為すものありとも我々決して取り持たざるべしと言い張りつ、しきりにその処置を怒り居るとの事なり、これにつき或る人はもし仲裁でもならざる上は大達はとても東京に居かねぬれば地方へでも行く気なるか知らねど、いま日の出の大達が東京相撲の組合を抜けては目指す面白味もなくなる訳ゆえ、何とかその贔屓の中にて仲裁しあっぱれ梅関との立合を見たきものなりと語りぬ、とまれかくまれ相撲社会の一珍事というべし。
○大達紛紜の結局
・飴屋の騒ぎがどうしようともそんな事は耳に入らぬ、大達の紛紜一件早く済まさなけりゃー梅との相立合いがみられぬぞと相撲熱心家が気を揉み合いし彼の破門事件はいよいよ水が入り、贔屓の人々の尽力にて大達もその非を謝し、また師匠の高砂もようやくこれを聞き入るる事となり昨夜(六日)大達は高砂へ以後謹慎の詫書を入れ、なお仲裁の人々よりは保証の書付を添えて目出たく手打ちになりたり、この仲裁の中には上流の人も加わり居たる由なれど、書付に署名せしはただ根津の大八幡、新八幡、馬喰町の柳川及び本田某等なりという、また大達は右一件の済みたる上はすぐ旧藤堂邸内の当場所へ出勤させなば一層景気にならんと人々の勧めに高砂もこれを承知したれば本日同所にて顔触れになるよし、かくと聞く相撲熱心家はまづ安心と胸のつかえを下ろすなるべし。(1.7)
○高砂と大達
・かの大達破門一件も詫びの叶いて目出たく元に復せしとはいえ、何となく師匠高砂との間うち解けぬ様なればとて一昨夜鷲尾元老院議官、五條同院御用掛が柳橋の亀清楼へ高砂大達伊勢ノ海其の他二名を招き饗宴を開きて自後の親睦を結ばしめたる由。
現在でも有名な破門騒ぎです。大達は師匠高砂の頭を殴り、高砂は日本刀を持って大達を追い回したと言われていますが記事ではそこまで書いてません。高砂は稽古場に張り紙をして「大達の所へ内通する力士がいた場合そいつも即刻破門」することを言い渡しましたが、記事によると力士達もみな師匠側についていたようですね。これは力士界全体の利益のための反乱ではなく個人的なものですから仕方の無いところでしょう。高砂はのちに騒動の責任を取る形で役員選挙への出馬停止を言い渡され、それに反発して協会側へ訴訟を起こしたりもしました。とりあえず今は大達の復帰が叶って良かったです。旧藤堂邸内の当場所というのはこの時開催中だった花相撲のことです。