○大相撲
・二日目(昨四日)は朝の内より照るかと思えば曇り、俗に云ううっとうしき空模様にて午後四時頃にパラパラと来しなど日和悪かりしため、見物充分ならずまづ八分通りの入りなりしが、例の徳川近衛の両公を始め貴顕方にも多く来観ありぬ。
・音羽山に雷山は、左四ツにて寄切って雷山の勝。
・唐辛に鳳凰は、互いに突張り合い突放して鳳の勝。
・天津風に大達は、念入に立上り左四つとなり挑み合い、天津敵の上手を引き合四ツとなりまたも必死と揉み合いしが勝負つかず水となり、再びつがい達は腹櫓にて釣らんと試みしも利かず、なおまた挑み合いしが取疲れ引分。
・大戸崎に北海は、北は勢い烈しくシャニムニ寄らんとするを、大戸土俵際にて耐え寄返し北のアセル所を突出して大戸の勝。
・大纒に高ノ戸は、烈しく突合い一寸左四ツになりしが離れて纒は敵の前袋を引き、互いに秘術を尽くし挑み合ううち逆に捻りて大纒の勝は見事なりし。
・知恵ノ矢に響升は、左をさし寄切って響升の勝。
・大碇に大蛇潟は、碇は得意の右ざしにて突掛けるを大蛇は土俵にてウッチャリ大蛇潟の勝。
・大泉に朝汐は、立上るや泉の左さしを朝は片閂にて撓め押出さんと堪え寄り返し左四ツとなり、朝が釣り出さんとせしを泉土俵際にて堪えつつウッチャリたれど団扇は朝汐に上りしも、物言い付き土俵だけ預り。
・大砲に響矢は、手車にて挑み合い合四ツとなり、砲の寄らんとするを響土俵際にてウッチャらんとせしも利かず寄倒し大砲の勝。
・出羽ノ海に西ノ海は、突出して西ノ海の勝。
・(中入後)鬼ヶ谷に若湊は、若一寸立ち後れしがそのまま立ちて二三合突き合ううち、突出し鬼ヶ谷勝。
・小松山に海山は、立上るや左四ツとなり互いに引付け寄らんと挑み合いしが水となり、それより小松の釣らんとせしも利かず上手投にて海山の勝。
・小天龍に外ノ海は、小天左さしにて内ワクに行かんとするを、引込はたき込んで外ノ海の勝。
・司天龍に玉龍は、念入に立上り玉はたき込んてすかさず右さしになり挑み合い、右四ツに移り取り疲れ水入後再びつがい挑み合いしが、勝負果てず引分け。
・御用木に千年川は、用は左筈に行くを千年引外し右をさし寄らんとするを、用内ワクを試みしも極まらず突き出し千年の勝。
・谷ノ音に越ヶ嶽は、突き合い越右さしにて寄らんとするを、谷は泉川にて撓めつつ蹴返し同体に流れ団扇は越に上りしも物言付き預り。
・高浪に小錦は、左差しにて掬い投げ小錦の勝にて打出し。
○力士の病気
・西の大関大戸平、同張出し八幡山、前頭の筆頭達ノ矢の三力士は病気にて出勤せず、ために大いに東西の権衡を失いたるが八幡山は多分明日より出勤すべしという、それらのためにや東の天津風は初日より西の方へ廻りたり。
偏っている戦力を少しでも近づけるため、入幕2場所目の天津風は西方扱いとなり連日東方力士と対戦することになりました。こういった措置は珍しいですが、今後はたまに見られるようになります。八幡山は出場予定もあったようですが結局出ず、この間にも体力の限界を悟ったのか今場所限りで引退することになります。悲運の大関と言えるでしょう。土俵の方は西ノ海と小錦が危なげなく、先場所大敗を喫した鳳凰も元気です。
明治27年春場所星取表