○回向院大相撲
・昨十二日(初日)は朝来曇天にて烈風なりしも、やがて一天晴れ渡りしより追々観客詰め掛けてついに大入の好景気となれり。
・司天龍に有明は、立上り突き切って有の勝。
・岩戸川に淡路洋は、岩の透かしを付け入り極め出して淡の勝。
・鉞りに松ノ風は、突き合い鉞の下に組み入らんと進む出鼻をハタキて松の勝は当然なるが旧位置に回復するよう勉むべし。
・高千穂に成瀬川は、高少しく立ち後れたるを成突っ掛け腰の据わらぬためか苦もなく体崩れて成の勝は残念に見えたり。
・利根川に嶽ノ越は、利後ろに入り右上手を取って引き落さんとすれど角力巧者の嶽なれば腰を引きて耐えつつ利の寄るを押し切りもたれ込みて遂に勝を得たり。
・常陸山に不知火は、常の初舞台とも云うべき大角力にて観客は皆勝負如何と待つ甲斐もなく、常は不知の左を取って泉川に懸け振り出さんとするを、不知も老練家なれば右筈にて防ぎつつ土俵を廻りてよく耐えしが、常のウンと張る声と共に不知たちまち東隅に撓め出されしは大角力なりし、本日の梅ノ谷との勝負も面白からん。
・千年川に鬼鹿毛は、千の平押しに鬼防ぐ間もなく僅かに土俵の詰めにて砕かんとせしも決まらず鬼の負。
・甲に小松山は、段違いなるに小松は堅くとり四回のマッタで漸く立ち上り、三度ほど突き合て甲に二本を差され大兵の小松の足も地を離れて土俵の外とは何事ぞ。
・鬼ヶ谷に小天龍は、鬼の元気に小天のヨドミ耐え得ずして押切られ小天の負。
・岩木野に狭布里は、腰自慢の角力にて右四ツにて挑み合いとても果しが付かじと思いのほか、狭一寸注文中岩は得たりと引くと見せて捻りしが旨く決まりて岩の勝は儲けもの。
・源氏山に當り矢は、當例によって烈しく突掛け左筈に右上手を引きて押行く早業に、源氏は危うく残し寄り返して當の左を殺し右上手に取って押切らんとすれば當は体を落して防ぎしも源氏は一寸捻りて見事に勝を占めてけり。
・玉風に荒岩は、ただ突きの一手にて突出て荒の勝は角力にならず。
・朝汐に鶴ヶ濱は、鶴憶せず立上り四ツに渡らんと寄るを、朝は左手を引き込み泉川に掛けしも浅かりしため利かず、其のまま小手投げ打って土俵の外へ振り出したる力量は大関の貫目確かに見えたり。
・小錦に高浪改め玉ノ井は、玉は小の出鼻を矢筈に掛けても小耐えて寄り返すより、玉は満身の力を出して押切らんと進む所を小は体を透かし引落しての勝は是非なし。
○木村庄之助方屋入の式
・相撲行司木村庄之助は先頃熊本に於て興行の砌り、司家吉田追風より方屋入りの式法を授けられしに付き昨日回向院大相撲場所に於て此の式法を行いたるが、身には素袍を着し土俵の中央には幣帛七本を建て開口して方屋開きの式より始め方屋祭を行いて幣帛に供物を供え木村家の古法例の如く執り行いたりという。
夏場所開幕です。のちに角聖と呼ばれ大相撲界に計り知れない足跡を残す大横綱・常陸山は関取として、記事の通り初舞台です。幕内経験の長い不知火が相手でしたが力任せにグイグイ攻めて勝利。荒岩以来の「幕下から一気に入幕」とはいきませんでしたが、東十両筆頭に据えられています。二日目にはいきなり「梅vs常陸」が組まれたようで、人気を呼ぶこと間違いなしでしょう。初日、上位陣は順当に勝利しています。朝汐は最近の評判通りに大関に昇進しました。前場所後半を休場してしまいましたのでラッキーな昇進と言えるかも知れませんが、ここ数年の実績、成績の安定ぶりが評価されたのでしょう。風格も十分に備わっているようです。横綱小錦は欄外に張出となりましたが、これは先代の横綱西ノ海と同様の措置で、先場所の記事にあったような「格下げ」のニュアンスは無いと思われます。以後、平成時代の曙の昇進時まで、「一人横綱は欄外に張出」が通例となります。
明治31年夏場所星取表
東十両1・常陸山谷右エ門