・昨日回向院六日目の相撲は例の上景気、見物は三千七百人にて。
・中入前、響矢と上ヶ汐の立ち合い、水入れの後、響矢の勝となり。
・武蔵野に常陸山の取組は双方見合いしに一時間を経るも立ち合う色なきより、行司・年寄は困じ果てしが、やがて双方を東西の土俵際に立たせ、引く団扇と共に双方より駈け寄り取組ませたるに、しばらくありて常陸山は見事に武蔵野を投げ出したり。かかる取組ませの仕方は古来かつて見ざる所なりと。
出ました、待った一時間。十両の土俵です。今のように制限時間がついたのはラジオ中継が始まる昭和になってからで、それ以前の時代はこのテの伝説がいくつか残っています。当時の観客もこういう時には野次を飛ばしたりしたといいますが、仕切っている当人たちも疲れないんでしょうかね?最後にはヨーイドンで立ち合う羽目になってしまいました。
明治13年夏場所星取表