・昨日回向院五日目の相撲は朝の曇りゆえか見物は前日に劣り、すなわち二千八百六十二人なりし。
・中入前、浦湊に稲ノ花は立合い申し分なく「右ヨツ」となり、浦湊は相手を寄せ付けそれなり押切らんとせしが、稲ノ花は土俵に足を止め今一息にて相手を「ウッチャ」らんとせしはずみを、流石老練の浦湊は見て取り一つ振り回し十分相手の腰を崩し、押し切りて勝を得たるは如何にも上手の相撲というべし。
・上ヶ汐と大纒は難なく立合い四ツとなりしに、いかなる怪我にや上ヶ汐は押倒され大纒の勝となりたり。
・荒虎と千羽ヶ嶽は申し分なく立合い、荒虎は左手を相手の腋下にあて右にて相手の左手を受け、押し切りて荒虎の勝となれり。
・響矢に武蔵潟は難なく立合い、手と手にて渡り合い押し合う中、響矢は「手車」より下手に抜けんとせしが、遣り損じまた元の手に復せしに、武蔵潟はひたすら潜られん事を恐れて手先に力を込めしを、手取りの響矢はすかさず「手車」を二度連出したれば、武蔵潟は膝手とも土俵の中に突きて響矢の勝となりしは此の日の相撲と言うべし。
・若島に清見潟は申し分なく立合い、清見潟は立際より荒れて突きかかり一時は出来よく見えしが、力及ばず遂に押し寄せられて若島の勝ちとなれり。
・中入後、高千穂と荒玉は両々仕切りよき相撲なれば綺麗に立合い、高千穂は最初左を引張り込まれしが見事に抜き手先にてあしらい、遂に左手にて荒玉の右手を手際に殺し右にて相手の左手を受け押し合いしが、流石の荒玉も左右なくば寄らず双方ためらいてありし時水となりしに、滞りなく組直し暫く揉合いしが勝負付かず、引分とはなれり。
・浦風に司天龍は気を入れて立合い、浦風は左にて下手廻しを取り、司天龍は右にて上手廻し(一重)を取り左を差せしに、浦風はこの手を抱え「ヨツ」となりて揉合いしが勝負付かず引分となりたり。
・手柄山に鞆ノ平は難なく立合い、離れては刎ね合いまた手と手にて渡り合いたれど、元気盛んの鞆ノ平は手をほどき「ハタキコミ」てまともに相手の頭を「ハタキ」たるに、手柄山は是れにて決まり鞆ノ平の勝となれり。
・梅ヶ谷と柏戸は梅ヶ谷の勝なりし。
・本所小泉町二番地に住む小泉五兵衛の長男大次郎(七年)が、去る七日両国回向院境内なる相撲櫓の暴風のため倒れし時、そが下に押し伏せられ治療を加えたるも其の効なく絶命せしことは其の頃の紙上に掲げしが、殊に一の憐れむべきは母おふさにして其後は日となく夜となくせがれ大次郎の事のみ嘆き悲しむ其の余り、やや取りのぼせし有様となりせがれの位牌に打ち向い、これ大次郎世の中にそなたの如き不運者はあらぬぞよ何の罪なき此の幼児にかかる非業の死を遂げさするというは余りといえば情けなし、神も仏も此の世界にはなきものか、と生体なく泣き叫び、また櫓太鼓の聞こゆるときは一層に狂い出して、是れよりかの櫓下に至り何とかして此の身を殺し我が子と死所を同じうせん、と突然戸外へ飛び出づる事しばしばなるにぞ、大次郎の祖父は之れを見兼ね此のままにては捨て置き難しと同所警察署へ至り、是非なき事と思い切るようふさに説諭ありたき旨願い出でたりと。また相撲の年寄大嶽はこの事を聞きて痛く憐れみ、金五円を回向料としておふさに贈りたりという。
痛ましい事故ですが昔の新聞は描写が細かいですね。100年以上経った今読んでもその悲しみが伝わってくるようです。この事故を機に、やぐらが倒れにくいように高さを少し低くしたといいます。先場所は響矢の手車をしのいで引分に持ち込んだ武蔵潟も今場所は喰ってしまいました。ここのところ記事の中で紹介される番数が次第に多くなり、紙面に占める相撲記事のスペースが少し広くなってきました。
明治14年夏場所星取表