・中入前、柏戸に中津山は「ハタキ込」んで柏戸の勝。
・海山に荒飛は、海山左に敵の前袋を引き「右」を差さんとするを荒飛は両手にこの右を殺して水、荒飛に痛みありて引分となりぬ。
・出釈迦山に緋縅は「ハタキ込」て緋縅の勝。
・井筒に高千穂は、高千穂立ち後れしも難なく「押切」て勝。
・さて次は西ノ海に鞆ノ平、是れぞ当日の取組にて仕切も見事に立上り暫時手と手に渡り合いしが、鞆ノ平が左を差すを幸いに西ノ海は例の「泉川」を極めたれど、鞆は一生懸命ため出されんづと右を伸ばして西が泉川を極め居る左の腕に添いつつ引き絞らるる我が左を助けながらに揉抜きしは実に大相撲にて喝采の声しばし止まざりき、かくするうちに双方取り疲れて水となり、再び組んで勝負なく引分。
・中入後、一ノ矢に友綱は双方日の出の若相撲なれば定めて面白からんと思いきや、突張りて友綱踏切り一ノ矢の勝。
・常陸山に上ヶ汐はすぐに「押切」常陸山の勝はあっけなかりし、もっとも上ヶ汐の腰砕けしに寄ると思わる。
・大達に千羽ヶ嶽は「左四ツ」にて大揉みに揉み、大達の寄行きて既に千羽の危うかりしをエンヤ残って「うっちゃ」らんとする時、そうはさせじと大達が「ヒネリ返」して勝。
・高見山に梅ヶ谷は相撲にならず、すぐに突張って梅の勝。
・近日府下の力士を天覧に供えらるるやの趣きにて、昨今その筋において場所等をそれぞれ評議中なるやに聞きしが、多分は吹上禁苑ならんとの事なり。
・回向院本場の終わるや多分来る十七日初日にて芝神明社内において相撲興行のある由、その顔触れは大関梅ヶ谷大鳴門剣山鞆ノ平、大関西ノ海海山高見山大達等にて浦風緋縅一ノ矢廣ノ海等にも出勤すという。
西ノ海と鞆ノ平の好調者同士の対戦は互いに引かず、西ノ海やや攻勢だったと思われますが必殺の泉川をしのぎ切ったのは鞆ノ平絶好調の証しでしょう。芝の花相撲は17日からということは千秋楽の翌日ということですが・・・しかし当時はこれくらいのスケジュールは当たり前でした。そしてついに天覧相撲の計画が具体的になってきたようです。
明治17年春場所星取表