・回向院の大相撲は兼ねて記せし如く昨日開場になれり、近来流行の第一に位するものだけありて場所も例年よりはズッと広やかに構造し、すべての注意も行き届きぬ。
・此の日は初日の事なれば取組もさまで宜しからざりしが、番数のうち九紋龍に初陣(大和錦改)は初陣の勝。中ツ山に千草山は千草の勝。浦湊に綾浪は綾浪の勝。
・幕の内に移りて海山に嵐山は、海山得意の右を一本差さんと相撲を仕掛け来る折から、嵐山は一心不乱に此の手を「殺シ」て防ぎざま「寄リ」て勝を得しは大出来なりし。
・一ノ矢に柏戸は「左四ツ」にて「寄リ」一ノ矢の勝なりしも、先に一ノ矢に「踏切」ありとて物言い付き預り。
・常陸山に千羽ヶ嶽は、立上るや千羽は無二無三に常陸山の咽喉を鷲掴みにして押切りしが、あとにて常陸山は其の時「マッタ」を云いしも千羽が聞き入れざりしなりと言い、千羽は常陸山がマッタは言いざりしとの争いにて、およそ三十分も手間取りしが年寄の扱いにてようやく預りとなれり。
・手柄山に廣ノ海は「ハタキ込」て廣の勝。鶴ヶ濱に剣山は左四ツ、剣は得意に上手を引き「寄」て勝はさもあるべし。荒飛に大達はハヅを構合いし時、大達は「突落」して勝。梅ヶ谷に立田野は「出シ投」にて梅の勝。
・(中入後)上ヶ汐に八幡山は上ヶ汐得意の「カワズ」に行きしを、例の「足クセ」にて八幡の勝となりしはお手柄お手柄。
・友綱に萱田川は「左四ツ」上手投にて友綱の勝。武蔵潟に勢は押切りて武蔵の勝。高千穂に入間川は「寄」て高千穂の勝。鞆ノ平に井筒は「スクイ投」で鞆の勝。
・高見山に伊勢ノ濱は「ハタキ込」で高見山の勝。大鳴門に稲ノ花は「左四ツ」にて「寄り」大鳴門の勝。西ノ海に清見潟は、清見潟「ハネ負け」て西ノ海の勝。
・一方の大関楯山及び前頭緋縅は病気にて休みたり。
・大関梅ヶ谷は、兼ねて御贔屓を厚うせらるる角觝好きの御方としいえば誰一人知らぬものなき某貴顕より「廻し」二組を賜りたるよしにて、実に見事のものなれば同人の宅にならべ置き衆人へ見せるよし、此の廻しはおよそ八百円も価せしものなりという。(5.16)
ここのところ観客数何人と書かれなくなりましたが、相撲人気はかなりのようで客席数も増やしたのでしょうか?初日から賑わったことでしょう。角觝も「すもう」と読みます。新聞には「すまひ」とカナが振ってあります。梅ヶ谷の化粧廻し、当時の米の値段は現在の約10000分の1で、当時の1円≒現在の1万円と考えると相当に豪華なものだったでしょう。先日の天覧相撲で使った化粧廻しは伊藤博文から贈られたといいますが、それのことなのかどうかよく分かりません。
明治17年夏場所星取表