○回向院大相撲
・かねて報道せし回向院大場所は昨日を以て開場せり、本年は年寄の注意にて夜に入らぬうち打出さんとの趣向にて、午前二時より櫓太鼓の音もろとも取始めたる事なればその打ち出しも意外に早かりし、さて此日は初日とは言え景気すこぶるよく、日を追うて大入は勿論と思われたり、取組は初日の事なればさまで宜しからず、大相撲というは一組か二組に過ぎざりし。
・(中入前)中田川は木曽川に、神風は浪渡りに、播磨洋は田上山に、宮ノ松は相川に、鷲ノ森は浦ノ海に、小金山は藤ノ森に、國ノ花は常陸川に、若木野は藤ヶ枝に勝。
・司雲竜に毛谷村は預り、鳥ノ海は藤田川に、泉川は山ノ音に、菊ヶ濱は岩ノ里に、頂は朝日嶽に、綾浪は若湊に、平ノ戸は千勝森に勝。
・藤ノ戸に海山は右四ツにて揉合い、或は寄らんと攻め立れば投を試みるなど大相撲になりしかど、海山の口中に痛ありて出血し引分となれり。
・伊勢ノ濱に廣ノ海は突掛てのち右四ツに渡り、廣は差し手にミツを引きつつ一心不乱寄りて土俵の際に待ち行きしが、この時伊勢もコハ大変と下手投を打つや否や体共に流れたり、されど団扇は伊勢の方に上りしに物言を生じついに預りとはなりしが、溜りの説には伊勢の体早くして廣が七分の勝なりといふ。
・八幡山に友綱は段は違えど面白き取組にて、如何なる相撲を取る事かと待つ間あらせず立上り、ちょっと小手先のせり合より難なく右四ツとなり、機を計りつつ八幡山は得意の足くせにて勝を得たれば賞讃の声かまびすしかりき。
・浦風に常陸山は、左四ツ寄て常陸の勝。
・上ヶ汐に入間川は、申すまでもなく突落して上ヶ汐の勝。
・増位山に高千穂は、増位山が遮に無に寄らんと出て来るはなをハジいて高千穂の勝はちょっと大きし。
・剣山に鶴ヶ濱は、矢声と共に立上り突張り跳合い左四ツとなり、剣が揉んで揉み抜くも流石は名代の鶴ヶ濱、防ぎて相撲大事に取る時、剣山は此の手じゃ行かぬと今度は金剛力に寄来り、鶴も今更防ぎ得ずあわれ踏み切らんと気遣う折から、せめては五分の相撲にしたしと下手投を打ちしに、剣の体危うく見えしも矢張り寄て剣の勝は一大相撲と申すべし。
・嵐山に大達は、寄て大達の勝は詮方なし。
・梅ヶ谷に清見潟はケタグッテ梅の勝も評する所なし。
・(中入後)緋縅は和田ノ森を押切り、一ノ矢は浦湊を「ツッパリ」、柏戸は桐山を寄倒し、千羽ヶ嶽は九紋竜を突張ていづれも勝。
・鞆ノ平に立田野は、左四ツより立田野が差し手を抜き替えるとき寄りて鞆の勝。
・高見山は左を差し、寄て手柄山に勝。
・大鳴門に出釈迦山はスクイ投て大鳴門の勝。
・中ツ山に西ノ海は、中ツが例の通りペロペロ舌を出しては機を伺い急に立たぬゆえ幾度か仕切直すに、西ノ海も可笑しく思い彼の愛敬顔へえくぼを入らせてありしが、しばらくして立つや泉川を極め放して西ノ海の勝は、あたら暇の要りし相撲なりき。
○相撲並びに年寄現員
・今回の大番付に記載ある相撲総数は四百十四人、また相撲年寄総数は五十五名なり。(1.20)
○相撲年寄役割
・今度回向院大場所の相撲年寄役割を聞くに、土俵見張役は伊勢ノ海五太夫、大嶽門左衛門、高砂浦五郎。勧進元は佐野山幸吉、浅香山半左衛門。中改番は稲川政右衛門、出来山長吉、勝ノ浦与一右衛門、関ノ戸億右衛門(補助)玉垣額之助。木戸番は追手風喜太郎を始め十六人。(1.20)
・また日々相撲の取組割をなすは何地の興行にも行司の担任なるが、大場所にてのみは伊勢ノ海大嶽高砂の三名が担任する由。(1.20)
記事に小見出しが入るようになりました。制限時間の無い時代ですから取組が長引くと暗くなって決まり手も判別できない、といった事が今までありましたが、少し早く終わるようになったみたいですね。取組の編成は現在も審判部の年寄が行っていますが、この頃から始まったのでしょうか?
小野コレクション(明治18年春場所番付)
明治18年春場所星取表