○回向院大相撲
・昨日八日目の相撲は昨同事とも言うべき場況なり。
・綾浪に真力は気合よく立って二ツ三ツ跳ね合い、綾浪は二本差し真力は絞り、綾浪が進む所を捻って真力の勝。
・常陸山に出釈迦山は左四ツとど突張って常陸の勝。
・友綱に知恵ノ矢は跳ねて友綱の勝。
・大達に海山は丁寧に立合い、二ツ三ツ跳ね合い手四ツとなりまた右四ツにて海山が進むを、大達は挟んで持て行く途端に海山よりカタスカセを試みしが到らず、大達は挟んだ手にナタを極め激しくきめ付けるに海山も必死と防ぎ、またカタスカセを出せしがためかえって体崩れ、大達は得たりと敵の右手を極め上げ我が右手に突張りて極めだし大達の勝。
・伊勢ノ濱に梅ノ矢は右四ツにて揉合い、伊勢のカタスカセが利き梅ノ矢に突き手ありて伊勢の勝。
・嵐山に相生は双方日の出力士、随分人気の乗った取組なり、さて仕切りもあっさりと立合いざま相生はまづ頭捻りを引きしが決まらず、残りて右四ツとなりし時、如何なるはづみにや嵐山の縦マワシが抜け嵐山の国産越前の名物のヌッと出でたるに、行司木村龍五郎大いに狼狽し、まづ力士にはマワシだと声を掛け四本柱の年寄にドウ致しましょうと相談せしに、勿論包み直して取らせよとの事に其のままブラブラと溜りへ下り、締め直して取り直しとなり、水まで入りしが勝負付かず引分とは随分愛敬ある立合なりし。
・上ヶ汐に八幡山は、上ヶ汐少しく立後れありしか寄られアワヤ土俵を割るばかりの所で上ヶ汐は河津に行きしが、体かわらずしてもろに落ち八幡山の勝。
・高千穂に綾瀬川は右四ツから綾瀬川が二本差しとまでなりしが、高千穂に充分取りこなされ危うき所を残られ、水となりまた引分。
・一ノ矢に廣ノ海は立合ざま廣が大胆にも河津に行きしが、深すぎて利かず一ノ矢は巻かれた足を芯にして一つ廻り、サマタにて送り出し一ノ矢の勝。
・高見山に大鳴門は、順当に跳ね負け鳴門の勝。
・此の日、貴顕中には副島宮中顧問官、蜂須賀公使、楠本、安藤の両元老院議官、高崎府知事、徳川家達、池田茂章の二君等をも見受けたり。
来ました、モロ出し(;・ω・)当時のルールでは別に負けになるわけでもなかったようです・・・観客の様子が書かれていませんが、それほど騒がずに淡々と片付いた感じがしますね。四本柱というのは勝負審判のことで、現在と違い土俵上の四隅に座布団を敷いて柱を背にして座っていました。現在のように土俵下から見上げる形になったのは昭和5年夏場所からです。勝負の邪魔にならなかったんでしょうかね。
明治20年春場所星取表