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レトロ相撲記事。

明治~大正の新聞記事は大変興味深い情報の宝庫です。味わい深い文体も楽しみながら、古き佳き時代の相撲場風情を満喫しましょう。 緑色の文字は作成者のコメントです。

西ノ海の横綱免許と新番付 (毎日新聞/明治23.3.2)

Posted on 2007年6月13日 By gans 西ノ海の横綱免許と新番付 (毎日新聞/明治23.3.2) へのコメントはまだありません


○力士西ノ海
・これを梅関が横綱を得たるの技量に比せば如何、尚早論を唱えたきの感なきにあらねど、大達既に衰えてまた傲然闊歩回向院の門を揺かすの勇気なし、剣山また病みて今は觝場に上らず、独り小錦旭日東上の勢いあれど僅かに近年の出世に過ぎず、ここにおいてか泉川関勃然勢いを得て力士社会の大勲章横綱を張るに至りしならん、それは兎も角も同人は来る五月横綱土俵入を勤むるため、かねて吉田追風の末裔吉田善右衛門氏よりこの程横綱免状を下付せられしが、昨日はまた宿禰の後裔と称せらるる五條子より方屋並びに持太刀免許の二状を受けたりという、また同力士の横綱に付き華族島津公よりは太刀並びに化粧廻しを同人へ贈る筈にて、太刀は島津公の常紋を金蒔絵にて出しおよそ三百円以上のもの、また化粧廻しは本所一ツ目の縫箔屋へ注文せしが代価は四百円なりと、この他吉田子爵よりも太刀を贈り黒田、松方、西郷の三伯よりも太刀を贈らるるよし、西ノ海の露払い並びに太刀持は小錦、一ノ矢なるがこの控えは綾浪、響升の二力士と定まりたりと聞く、泉川関もまた仕合せなるかな。
○五月の本場所
・相撲好きが一月の本場所終わるやいな直ぐと星数え、誰は幾枚の上進なるべし誰はいよいよ大関なるべしと、早や番付を予想の中に描くは五月の本場所なり、西ノ海横綱免許にて東の関に廻るについては大鳴門を西の常席大関に、剣山小錦を張出し大関に為すべしとの説あれば、また剣山西の大関たるべしなど種々の風説ありて、本社の予想番付こそ今は待ち遠なれという景色なり、ソコで本社は例の如く本年一月の成績を参照し左に予想番付を記して愛読者の一覧に供す。(五月本場所の初日は九日なりと)
 東         西
大 関  西ノ海  大 関  大鳴門
関 脇  小 錦  関 脇  剣 山
小 結  一ノ矢  小 結  若 湊
前 頭  響 升  前 頭  八幡山
 同   綾 浪   同   鬼ヶ谷
 同   嵐 山   同   鞆ノ平
 同   大 達   同   司天龍
 同   出羽ノ海  同   海 山
 同   今 泉   同   平ノ戸
 同   芳ノ山   同   真 鶴
 同   千年川   同   真 力
 同   若ノ川   同   谷ノ音
 同   北 海   同   知恵ノ矢
 同   朝 汐   同   瀧ノ音
張出前頭 黒 雲  張出前頭 春日野
(3.18)
○五月の本場所大関に富む
・櫓太鼓の声暁天に響き、好角家がきちがい眼になりて家を飛び出すは早や一ト月の後に迫れり五月本場所の事につきては先に予想番付を記せしが、其の後相撲協会にては大鳴門小錦の働きを挙げこの度の場所には共に大関こそ至当なれと云うものありて、ついに小錦を東の大関に大鳴門を西の大関に進め西ノ海は東の張出し大関に、剣山は西の張出し大関に据え、大達八幡山は西に廻りて西ノ海小錦と取組める事になりたりと、即ち五月の本場所には四人の大関あり、曰く
東
常席大関 小 錦
張出大関 西ノ海
西
常席大関 大鳴門
張出大関 剣 山
(4.4)
○回向院大相撲番付
・本社は先に一月大場所の成績によりて予想番付を掲載せしが、いよいよ昨日を以て番付を配りたれば例の通り一月の番付と比較して左に掲ぐ。
・鬼鹿毛の昇進は技量外多年の功によるなるべし、瀧ノ音の昇進は腕力の強きためにて、朝汐が付出しより一躍して幕内下より二枚目に昇りしは当然の事にて、本社予想番付にも二人とも幕の内に進め置きたり、流石は高砂年寄、公平の処置と褒めてよからん。(初日は明後三日)
  新 (東の方) 旧
横綱 西ノ海
大関 小 錦 大関 剣 山
関脇 一ノ矢 関脇 若 湊
小結 響 升 小結 大鳴門
(以下略)(5.1)
○相撲問答
・五月の本場所はいよいよ明三日より始まり記者がかつて申せし相撲支配の時代ここに到着したれば、これよりは都下相撲話の喧しき事ならん、さてこの度の番付につき(昨日の紙上にあり)麹町区飯田町慨然堂好角と云える人より本社へ向け左の質問を申込まれたれば一々相撲記者としてこれに答えしむ、その問答左の如し。
・(問)西関は横綱大関なりや、単に横綱にして大関ならざるか。
(答)ごもっともの御問かな、これまで当場所には四人の大関ありなど噂いたしたるところ、番付にはただ横綱と有り候えば世間の好角家には御同様お迷いの方多かるべしと存じ相撲記者もとくと聞き糺せしところ、横綱と冠するはこの度が初めてにて、これは大関の上に位し、勝負などの関係なく幾ら負け越しありても後に下げる事の出来ざるものなりと、されば神聖にして冒すべからざるもの或いは保険付の大関とでも御承知下さるべく候。
・(問)横綱と名前の上へ記すは古来その例あるか。
(答)前に申せし次弟なれば古来その例なき事と存じ候。
・(問)欄外へ出て横綱を張る者は古来その人ありしか。
(答)或る年寄に問合わせ候ところ、多分鬼面山か陣幕のうちにありしよう思わると答え候。(5.2)

西ノ海は長年の功労と最近の好成績が認められ、晴れて横綱免許となりました。化粧廻しよりも太刀の方が多く贈られているというのは意外ですね。いずれにしろ当時の300円や400円と言えば現在の数百万円の価値と思われます。また小錦と大鳴門が小結から一気に大関昇進、当時としては張出大関という地位は極めて異例なのですが、剣山が衰えて大関としての働きが期待できないことも大きく関連しているようです。また近年は不振の平幕力士を張出前頭とする機会も多く、かつては例外の産物に過ぎなかった「張出」が平常に使われるものへと変化していったと思われます。この場所の番付でその流れは決定付けられ、今後は張出の無い番付の方が珍しいという状況になっていきます。さて一度は4大関として内定したようですが(4月4日の記事)、この張出大関という処遇に西ノ海が異を唱えたといいます。結果として張出は張出でも「横綱」と冠することで西ノ海も納得して後日の番付発表へとつながっていきます。史上初めて、地位として「横綱」が記されたわけでファンの間には戸惑いがあったようですが、ハッキリと「大関より上の地位である」という見解が示されています。

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