○高砂、雷の再願
・この程陣幕久五郎は全国の力士を日本力士総取締なるものの下に置き同社会の古法を挽回し、かつ一朝事あるに当たりては輜重兵及び砲兵に付従して応分の力を致さんとの議をその筋へ建白せんと準備中のよし一二の新聞に記載せしが、高砂、雷の両年寄は力士の体格肥大にして徴兵検査に不合格の者多ければむしろ力士は徴兵の免除を乞い、その代わり事ある際には輜重兵に編制して軍役に服せんとの事をその筋へ出願し、且つ山縣、山田二伯の意見を聞きしに、維新前長州藩には磐石隊と云える力士隊ありて戦功少なからず、また西南の際にも力士数名ありて大砲の運転などに便利を与えたる事ありとて二伯は賛成したるよしなれども、その筋にては許可せられざりしが、今度陣幕が建白を為して万一彼に許可せられては我々の苦心水泡に属すれば、再びその筋へ出願せんと目下協議中なりと聞く。(2.23)
○国会代議士と出稼ぎ相撲
・国会代議士と力士とは等しく士と云うものの、その品物は甚だ相類せざる者なるが、一両日前田舎出稼ぎの東京相撲が卒然引き上げて帰京する事になりし、曰く因縁を聞くに力士の帰京は国会代議士に妨げられたるがためなりと云うと事随分大業なるが彼等は一月の本場所以来田舎へ出稼ぎをなし一稼ぎと云う主義なりしに、この頃は天下到る所国会熱に浮かさるる人の多くして平生の好角家も力士の角力よりも国会代議士の角力が見たいと云う訳で、どこで興行するも一向に入りなく、腕の力コブも日を経るに従うて衰うる模様なれば、慣れぬ田舎で痩せるよりはむしろ帰京して博覧会を目掛け東西南北より寄せ来りたる田舎の客を目当てとして上野近傍に一興行開かば当たるに相違なしと見当を定め、火急に帰京する事に決心せしなりと。(4.4)
○高砂社の開業
・相撲年寄高砂浦五郎は、今度本所区柳島町へ二千余坪を購いて牛乳搾取改良販売所を新設し、かたわら花園を設け牡丹花菖蒲などを植付けこれら開花の季節を期して毎年一回づつ花主を招き園遊会を開く事とし、いよいよ昨日を以て開業の祝宴を張り余興には相撲を催して来賓の一覧に供したり。
大 砲(分)大戸崎
野州山 荻ノ濱
外ノ海 北 國
大戸平 朝 汐
大 達 北 海
千年川 綾 浪
朝 汐 一ノ矢
・右のほか小錦の飛付き五人抜きありしが、第一立田潟は突張り、第二鷲ノ森は遮二無二突き出し攻め行くを錦は無頓着にて突戻し、第三大綱第四山田野は難なくヨられ、第五荻ノ濱は敵の横合より飛出し組付きしが錦は体を斜に其のまま預けて見事五人に勝を得たる時は喝采の声暫時鳴り止まざりし、この時大達が溜にたたずみ己れも以前は五人抜を演ぜしにと云える様子見えしは心中さこそと察せられたり。(5.2)
○相撲、議員を招待す
・高砂捕五郎、雷権太夫は今回の大相撲興行中、日々市会議員及び府会議員二十五名づつを招待して相撲を一覧に供したき旨議員某氏についてて両会へ申出でたるよし。(5.6)
○相撲には殊更涙雨
・米価の騰貴に連日の降雨、天雨を降らせば下界もこの上に今年の凶作を思いてシクシクと泣き出す、殊に気の毒なるは回向院の相撲、去る二日に廻せし太鼓の音何となくシメリて聞こえしに、案の定翌日の初日は雨にて流れ翌日も翌日もついに連日の降雨にて、勧進元待乳山山響その他の年寄は泣きの涙、興行もせずに番付面六号活字的の小相撲百名近くを養わねばならず、十両以上の力士へは米、味噌、薪などその家に送りて扶持せねばならず、米価騰貴すればとて力士の体は別段に痩せず、別段に痩せねば相も変わらず牛飲馬食、米価騰貴の今日に日々六十円余の継ぎ足し雑用を入れれば莫大の損耗なりと。(5.6)
○相撲問答
・過日の貴社紙上に西関の横綱などの事につき相撲問答を掲げられたり、さても面白き事かな我々三度の食事忘れて回向院に詰め掛ける連中(米価騰貴の今日には我ながら都合よく存じ候)に取りて貴紙の厚意実に有難し、伏てここに当場所番付面力士の位付けにつき何とか相撲記者の御評を伺いたく候、との前文にて好角堂主人の来書ありたり、その問及び相撲記者の答左の如し。
・(問)まづ東の方より始めて第一に伺いたきは、小錦関の大関と西ノ海関の横綱の御評に候。
(答)さればなり小錦の大関は技量の上達と共に昇りし事ゆえ難なし、西ノ海の横綱は未だ日下開山として許すべき資格なけれど、一両年の出来と云い師匠の庇蔭等によりて方屋土俵入を得たるは同力士の僥倖と申すべし。
・(問)響升の昇進、綾浪の前頭上は如何。
(答)響が小結となりて三役の内に加わりしには全く腕力の強きがためなり、しかし立合は以後今少し烈しくヤッテもらいたし、綾浪は本年一月の番付に比すれば三枚の昇進にて前頭上になりたり、一月の出来栄えは敵方の三役を取り挫き八日間に六日の勝越しは相撲記者をして喫驚仰天せしめたる事なれば、この位の昇進は至当至当。
・(問)次に伺いたきは瀧ノ音の一足飛には何かこれには助けのあるものに候や。
(答)瀧ノ音が二段目の六枚目より一躍して幕の内に昇進せしは決して庇蔭などの助けあるにあらず、全く技量のしからしむる所にして取締検査役が同力士にこの一足飛びをさせしは公平の処理と相撲記者は褒め置くなり。
・(問)西に廻りて剣山の欄外大関は記者御同意は如何かと案ぜられ候が如何。
(答)イカにも、剣山は一月の不出来と云い病気欠勤と云い公平の眼を以てその位付を定むれば小結が適当なるべし、しかし同力士には従来の勤功により欄外大関は是非なしとして許し置くべし。
・(問)大鳴門鬼ヶ谷は如何に、鳴門の大関論は拙者年来主張せし所なるに、この度大関の位置を占めしは拙者心中に嬉しく存じ候が、相撲記者足下は御同感なるや如何。
(答)もっとも御同感に御座候、大鳴門の大関は第一剣山が病気のうえ不出来にて正当の位置を占めがたきに依るとは申せ、老練の手際と云い年来の勤功と云い大関の資格は充分なるに一月の本場所には勝越しありしなれば正当の大関は無論の事なり、鬼ヶ谷が嵐山、鞆ノ平を越えて前頭上席に進みしは突張りの烈しきためにて嵐、鞆の降りは是非もなし。
・(問)このほか大達、鬼鹿毛、大砲等は如何。
(答)大達近来の模様にては欄外小結より幕の内中央に降りしは相当なるべし、鬼鹿毛の昇進は全く勝星の多きためなり、大砲が三段目より三十余名の力士を掻き分け二段目に昇りたるはただ好角家を喜ばせしものならん。(5.8)
明治23年といえば前年に大日本帝国憲法が公布、この年から施行されて帝国議会もこの年に第一回が開かれる、そんな時代です。大鳴門は小錦と一緒に小結から一気に大関昇進、小錦に比べると成績も将来性も劣っていますが、長年の功労や本格派四つ相撲での技能など、数字以上に評価は高かったようですね。大砲はのち横綱になる力士ですが、身長2メートル近い大物として下位の頃から期待されていたようです。高砂親方は副業も盛ん、弟子達を引っぱり出して宣伝に使っています(;・ω・)