・二日目は見物千六百六十人にて。
・中入前、上ヶ汐と清見潟は立合い申し分なく上ヶ汐は左を差し、清見潟は上より三ツを取り釣り上げて持ち出さんとせしかば、上ヶ汐は差したる右手を清見潟のうなじに掛け右足を搦みて「河津」を掛けしも其の甲斐なく押し潰されたり。
・浦風と鞆ノ平は立合うやいな互いに荒れ合い、鞆ノ平は一撃に突き出さんものと力一杯に突掛けしが、相手は老練の浦風なれば一つたぐりて捻り倒せしは誠に見事の勝負なりき。
・中入後、手柄山と千羽ヶ嶽は難なく千羽ヶ嶽の勝となれり。
・小武蔵と坂田野とは立合すこぶるむつかしく一時間ほどにてようやく立上り、「アイヨツ」になりて揉み合いしが水となり、組み直しのむつかしきゆえ遂に引き分けとなりたり。
荒れ合うというのは互いに激しく突っ張り合うということでしょうか。十両の取組でまた仕切り一時間です。次の出番の力士も待つのが大変ですね。これより数年前ですが、幕下の取組で仕切りが長く続き、審判協議の結果仕切りの姿勢の良かった方が勝ちと認定された、という伝説も残っています。
明治14年春場所星取表