○回向院大相撲
・梅ヶ崎今泉は、手先に競り合い泉左を敵の胸にあてて押出し。
・大戸崎一力は、左四つに組みて揉み合い水入りてのち寄り切て大戸崎勝。
・唐辛外ノ海は、立合に辛子より突出す右手をたぐり込みつつ廻り込みて突き倒す。
・大纒玉龍は、立合に纒が差したる右手をかかえ込み右足を上げて蹴返さんとせし一刹那、纒の寄り身早かりしため玉の仰向けに倒る。
・朝汐小松山は、左四ツに組みて挑むうち汐より打し掬い投げ、残りてまた二三合挑むと見る間に汐より打ちし上手投の見事に極まる。
・大碇は大達を苦も無く突出し。
・司天龍西ノ海は立合に司天左を差す、西その手を取て撓め出す。
・中入後、鉞り高ノ森は左四ツに組みて挑み、鉞より寄り倒す。
・鬼鹿毛響升は、左四ツに組みて挑むうち鬼が腰を落して上手に力を籠め釣り上げて持出さんとせし時、響の右足を外掛けして防ぎたるため哀れや鬼の腰砕けて敗を取る。
・笹島北海は、立合に笹左を差し北海その手を泉川に撓め、残るとたんすかさず小手投げを打つ、また残る機会に北海より寄り切る。
・鳳凰海山は両人とも当時日の出の花形相撲、二人の土俵に入るや場中贔屓声湧く如し、斯くし両人は行司が引く団扇と共にヤッと立上るやいな互いに勢いこんで突合いしが、遂に鳳の突負けて海山の勝は中々面白き勝負なりき。
・出羽ノ海千年川は、出羽が千年の右を取て泉川に撓めた折までは勇しかりしが、何思いけん右足を上けて外掛けを試みたるため千年の体をアビセ掛られて腰の砕けたる様の見悪しさ。
・谷ノ音若湊は、左四ツに組み大揉みにもみ合い勝負を争ううち、谷が土俵際に打ちし掬い投げの見事に極まる。
・小天龍小錦は、立合にすぐ突出し当日の相撲を打ち出し。
○高砂浦五郎の英断
・幕政の昔、武士道の盛んなりし頃は相撲社会は大小諸侯の庇護を被り一種特別の興行として士民にもて囃されしが、近年に至りては全く普通見世物同様の姿となりて追々衰退の状況を呈するより、斯道の者共は大いにこれを憂いこれに応ずる救護策としてまづ相撲組合を会社組織とし六十人の年寄より年々五十円づつを集め、更に毎興行純益金の中より幾分を出して積立資本金として明治二十年頃までにはその額数千円に上りしが、その後損耗の引続きたるより追々資本金を消却し特に昨年一月の本場興行には大戸平と大砲とが欠勤せしため思い掛けざる損耗を生じ、次いで五月興行には西ノ海小錦の負傷欠勤のため又々損耗を生じ、当興行もまた大戸平大砲等の病気引より世間の人気を落したれば結局幾分の損耗となるは今日予め覚悟の上とて、取締なる高砂浦五郎は先頃相撲協会の席上において此の損耗に備えんためなお五十円づつ各年寄より拠集すべしとの議案を提出したれども、相談兎角一決せず更に三十五円づつ都合二千円の増額を要求したれどそれさえ不服の者多かりしより、高砂も今は是非なしとて更に改めて幕の内及び幕下十枚の力士には定めの給銀を与うるも幕下十枚以下及び年寄は無料の事とし興行に純益ある時に限り定めの給銀以内において幾分を支払うべしとて、ここに相談一決し初めて当興行に着手せしため例年よりは初日も遅れたるなりという、この方法にても永続し得べくんば相撲道の基礎は後来いよいよ鞏固となるべくかの高砂が臨機応変の処置、流石に感心なりと或る相撲通は語りぬ。
土俵の方は順当に進んでいるようですが、運営の方は思った以上に苦しいようです(;・ω・)やはり上位陣の休場は人気に響いています。不景気という記事もありましたが時代は日清戦争の最中であり、そういった影響もあるのでしょうか?人件費のカットという策に出ますが果たしてどうなるでしょうか、力士や年寄衆の不満が溜まらなければよいのですが・・
明治28年春場所星取表
西前頭13・唐辛多喜弥