○回向院大相撲
・昨日(七日目)は日曜日と藪入日のかちあいし事とて各桟敷朝のうちに売切れとなり九時頃には客止めの好景気なりし。
・平岩に國見山は、平出鼻を突くと見せ國の右を繰って一本背負に行きしが、國は上から左の猿臂を伸ばし後ろ縦ミツを取て釣り上げんとするから平は仕損じたりと体をかわして相四ツとなりて防ぎしを、國は無造作に釣って持ち出したり。
・淀川小西川は、左四ツにて淀平押しに寄り小西は押詰められしも、ここを先途と耐えしより淀はもたれ込んで勝ちしと思いの外か、自分に踏越しあって小西の勝に淀は落胆せり。
・鳴門龍に浪花崎は、浪の突き一点張りに始終受け身となりて遂に土俵を割る。
・荒雲に淡路洋は、淡の突掛けを荒は受けながらはたき込まんとすれば淡の僥倖は頭髪なく滑らかなるより自然と残りてすぐ突き出して淡の勝は大出来なり。
・金山に有明は、金は二本を差し有は上手ミツを取って挑む間もなく、金は右の差し手を脱し巻き倒して金の勝。
・高見山に嶽ノ越は、高の左を引張り込み外掛けにてもたれ込んで高の勝、ちなみに記す嶽は先年横浜興行の際頂キと角力いて左踵の関節を脱したるが、昨日もまた脱して立つこと能わず、人に助けられて引込みたりと。
・天ツ風に高ノ戸は、高左を泉川に懸けられ一心に解きしが、又々懸けられ勝手悪しと振り解きて逃げんとするを、天ツすかさず送り出して勝を占む。
・頂キに谷ノ川は、左四つにて挑みしが頂キは左の差し手を抜き替え釣らんと一寸体を落す途端、谷は浴びせたるため頂は腰砕けて同人に似合わぬ負を取れり。
・響升に鬼竜山は、鬼の突きと出足の進むに響は身受となり土俵少なになってようやく突き返したるが、再び鬼の突きに響の体は飛び出したり。
・大見崎に小松山は、突き合い手四つとなり大見突き込んで小松の浮き身を右の手に払いしため小松は尻もちを突きたるは笑止なりし。
・外ノ海に當り矢は、激しく突き合い外受け身にて逃げ廻り、早や土俵も余地なきより外は廻り込み差し手を突き込みもたれ込んで外の勝は大出来なりし。
・北海に大蛇潟は、右四つにて空き手は巻き合い、北より下手を打ちしが大は残して上手に打ち返し大の勝は機に応じたり。
・常陸山に不知火は、不知は潜って右に前袋を引き左を筈にかって押し切らんとすれば、常は左を撓めて振り落とさんとするも、不知はよく防ぐより常面倒と蹴落さんとすれば不知は体を伸ばして効かせず、また振り倒さんとするうち不知の撓められし腕は青ざめ来りしより水となり、のちしばし呼吸を考え常は首投げを打ちたるが不知は踏ん張りしより常は左を引掛け捻り出して常の勝なるが、不知はなかなかよく角力いたり。
・出来山に海山は、出来二本を差し海は左を巻き右は上手より巻きて筈にかい、海の首投げ出来の下手投げ共に決まらず水となり、のち取疲れて引分は出来分けを待ちしが如し。
・梅ノ谷に朝汐は、好取組の事とて場中は割るるばかりどよめき渡りけるうちに両力士はスゲなく立ち合い、手先の競り合いより左四ツとなり、朝右前袋を取って二度右上手を打ちしため梅実に危うかりしが、廻り込んで辛くも寄り返せば朝は必死となりて又寄りて右上手を打ちしより梅またまた危うかりしが、遂にもたれて梅勝ちを占めたるは当日第一の大相撲にて場中暫時は鳴りも止まざりし、この勝負にて朝が働きは非常なるものにて敗は取りたるも大関の真価は落さずと人々言い合えり。
・小錦に鬼ヶ谷は、突き出して錦の勝は角力にならず。
・中入後、八剣に甲は、八左を差して寄るを甲は詰めにてウッチャリ甲の勝は上出来なりし。
○大場所打揚げ後の東西力士
・目下回向院にて興行中の東西力士は、同所打揚げ後合併にて上州前橋に赴き同地にて五日間興行して帰京し、再び回向院に於て二日間好角同志会の相撲を興行し、それより横浜に於て合併大相撲を催し、それより既記の如く各組分かれ分かれになりて地方へ赴く由なるが、近来各県とも米価下落と地租増徴にて景気悪しければ、力士を買い込みて興行する者少なかるべしという。
大入り満員の七日目。淡路洋という力士はずっと十両にあってこれと言った得意技などは無いようですが、頭髪が薄いことではたかれにくいという利点があるようです(;・ω・)嶽ノ越はカカトというか足首でしょうか、脱臼癖がついてしまったようで負傷、翌日から休場となってしまいます。入幕を目指して好調だっただけに悔やまれます。不知火は常陸山戦で非常によく粘りましたが勝機を掴むには至りませんでした。常陸山土つかず。梅ノ谷vs朝汐も双方土つかずの大一番、朝汐が攻めて行きましたが若い梅ノ谷が体格を生かして勝利。敗れた朝汐も大関らしい立派な相撲内容でした。
明治32年春場所星取表