○回向院大相撲
・昨十六日(八日目)は午前十時頃すでに客止めとなり、花道はもちろん力士溜りさえ観客割り込みて実に寸地を余さず、足を踏み頭を越えて通行する程の雑踏にてありし。
・嵐山に大戸川は、嵐左を差して寄り切り嵐の勝。
・綾渡に小武蔵は、左四ツにて互いに右足を取りて釣り倒さんとクルクル廻って遂に小武の勝を占めたるは毎度面白き相撲にてありし。
・栄鶴に緑島は、栄の右差しを緑は上手に巻き、空き手は殺し合い緑の出し投げを危うく残し寄る鼻を捨て身にて栄の勝は見事なりし。
・朝日龍に岩ノ森は、突き出しで朝の勝は呆気なし。
・荒鷲に八ツ若は、八左を差して寄るを頭捻りにて荒の勝は当然。
・立花に玉ヶ崎は、玉左を差して寄り立は支うる力なく負。
・最上山に大嶽は、左相四ツにて大足癖を試みしが最伸びて効かせず、遂に寄り倒して最上の勝。
・照日山に熊ヶ嶽は、照の左差し右筈にかえば熊は右を絞りて左をのど輪に当て押切て熊の勝は力づく。
・野州山に緑川は、緑二本を差し野は上手二本に横ミツを取って挑み、野釣り身に行くを振って緑の勝は面白し。
・鶴ノ音に錦山は、左四ツにて寄り切り鶴の勝も呆気なし。
・朝日嶽に御阪山は、朝は左を差し御は左を筈にかい右を巻き御は上手を打ち、残されてまた出し投げを打ちしが、朝日は辛く残しすぐに釣って朝の勝は見栄えありし。
・高見山に稲瀬川は、高敵の左を取って泉川に懸け一斉に押し切らんとすれば、稲は踏張って耐える余地なく腰砕けて高の勝ち、これにて高も入幕の回復も出来しならん。
・當り矢に増田川は、烈しく突き合い増二本を突き込み寄り倒して増の勝。
・松ヶ関に八剣は、右相四ツにて水となり、のち取り疲れて引分。
・小松山に千年川は、小松右を差し寄るを千渡って残し、右を突き込み相四ツとなりて暫時挑み、千より寄り身に行く出鼻を捻って小松の勝はこれ迄の出来なり。
・高ノ戸に越ヶ嶽は、高は越の右二の腕を支えて防ぎ左は筈にかって受け身となりしが、越はそのまま押し切らんとする勢いの烈しければ、外さんと逃げ身に飛び去り自ら跳ね出でての負けは毎度ある失敗、少しく慎むべし。
・狭布里に稲川は、右四ツにて挑み稲差し手を抜き右筈にて押切らんと体を引く途端に寄り返したれば稲再び右を強く突き込みしが、ここに隙ありて狭は右外掛けにもたれて狭の勝ち。
・不知火に若湊は、待った数回にて若例のドッコイと立ち上り、行司の団扇を上げるやいな一突きに突出してドンと言えば不知は未だ立たずと主張せしより紛議起こり、各検査員総立ちとなりて東西へ交渉の末無勝負に落着したり、詳解せば病気休み同様星取に算入せざるなり。
・谷ノ音に源氏山、谷突き手を撓めんとするも源は払ってすぐ左より右四つとなり源より右上手を打ちしが、谷踏張って効かせず、また源より上手を打って谷足癖にて防ぎつつ同体に落ちしが、源より仕掛たる角力なれば団扇は源に上りたるが物言い付きて預り。
・鬼ヶ谷に逆鉾は、鬼は逆の左を手繰れば逆は預けて突き出して逆の勝ち。
・大砲に朝汐は、朝は左を差し左は敵の差し手を防ぎて揉み、のち砲は猿臂を伸ばして左を差し右前袋を取らんとするも朝は引き外して攻め合い水となり、のち暫時挑みしが勝負付かずして引分は大相撲なりし。
・中入後、鬼竜山に金山は、突き合い鬼が金の左を引張り金は耐えて廻る途端、腰砕けて金尻もちを突く。
・谷ノ川に天ツ風は、左四ツにて挑み谷釣り身にて寄るを天ツ詰めを渡って危うく残したるも、浮き身にて体の据わらざればたちまち寄られ谷の勝ち。
引き続き大入りの八日目です。幕下の綾渡vs小武蔵はお互いに足を取り合ってクルクル回るという珍相撲、力士の体格が肥満していなかった時代ならではです。不知火vs若湊は、立合いが成立したかどうかで揉めてしまいました、仮に不成立であれば取組が始まっていないことになるので預かりという裁定にもならず、結局取組そのものが無かったことにされてしまいました(;・ω・)両者とも土俵に上がっているのに「や」となってしまった珍しいケースです。逆鉾は速い攻めで6勝目、体重80kgほどの小兵ながら関脇として堂々たる成績を残しています。
明治32年春場所星取表