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レトロ相撲記事。

明治~大正の新聞記事は大変興味深い情報の宝庫です。味わい深い文体も楽しみながら、古き佳き時代の相撲場風情を満喫しましょう。 緑色の文字は作成者のコメントです。

梅ヶ谷の横綱と天覧相撲その1 (東京横濱毎日新聞/明治17.2.20-3.9)横綱免許の授与

Posted on 2006年9月7日2026年1月24日 By gans 梅ヶ谷の横綱と天覧相撲その1 (東京横濱毎日新聞/明治17.2.20-3.9)横綱免許の授与 へのコメントはまだありません


・今度相撲天覧あるに付き、相撲社会において大関梅ヶ谷は現時日ノ下開山と呼ばるる剛のものなるにより、せめては此の際横綱を張らせんと周旋せしが、五條元老院御用掛は野見宿禰の後胤なれば今度同氏よりこれを授与せられ昨日手元に渡りたれば、いよいよ来る二十七日天覧の日より横綱を張るとの事、右に付き黒田参議その他貴顕の方々には梅ヶ谷へ廻しその他祝儀の品々を贈られたりという。
・いよいよ来る二十七日、濱の延遼館において相撲大覧あらせらるるに付いては当日東の大関梅ヶ谷へは西方の力士三名を選びて敵せしめらるる趣向なりという、また同日梅ヶ谷横綱の土俵入りには剣山弓持の役を勤むるという。
・今度相撲大覧の挙あるに付いては其の係の人が年寄及び相撲の主だちたる者を或る館へ招き、年寄は裃を着るべく相撲は平袴を着け靴をうがつべしと達せられたり、いづれもかしこまりて退きしが、さて達せられたる年寄相撲は各々へ其の趣きを伝達せしに、一同いづれも大いに困却し、まづ相撲が平袴を着するは窮屈ながらもさほど苦情あらざれども、靴を穿つに至りてはわざわざ分外に大形の靴を製造せざるべからず且つたとい製造したればとて、とても一人にて抜き穿きなすを得ず、また年寄とてもことごとく余裕などあるというにあらざれば、今にわかに裃を調製せしむるには其の費用に苦しむもの少なからざれば陰ではしきりに苦情を鳴らし居る者ありという、また一方の相撲連は去月茨城群馬の地方を興行中来る二十日に天覧あるとの報を得て取る物も取りあえず、すでに約せし興行も断りて夜を日に継ぎて十九日までに帰京してみれば天覧は二十五日に延びたりとの事ゆえ、其の間地方を稼ぐ訳にもゆかず空しく家に寝食いして二十五日の来るのみを待ち居りしに、とんと二十五日になれば又々延会となり其の間は同じく寝食いするのみにて、とうとう彼の一連は為に千二三百円程の損耗を引き起こしたりという。
・いよいよ明日十日、濱の延遼館に催さるる天覧相撲の取組は左の如くなり、もっとも此の他に御好みもある事なるべし、当日観覧に参らるる人々はフロックコート或いは袴羽織着用の事、また婦人並びに十歳以下のものは陪観相ならざる旨を通知せられたりという。
中ツ山  千勝森
八幡山  出釈迦山
柏 戸  勢 イ
井 筒  伊勢ノ濱
行司 木村庄五郎
廣ノ海  稲ノ花
緋 縅  一ノ矢
友 綱  清見潟
高千穂  常陸山
同 式守与太夫
鞆ノ平  海 山
千羽ヶ嶽 浦 風
手柄山  高見山
同 木村庄三郎
三役
剣 山  大 達
大鳴門  西ノ海
梅ヶ谷  楯 山
同 木村庄之助
取 締 伊勢ノ海五太夫
同   大嶽紋左衛門
相撲長 高砂浦五郎
同   境川浪右衛門
副 長 追手風喜太郎
同   藤島甚助
同   甲山力蔵
同   根岸治右衛門
・今日府下の流行物はまず第一に相撲なるべし、昨日は何処今日は何処と興行多きその中に四五日前より本所林町に開きしは花の時節の花相撲、流石は本場所の土地だけに我も我もと詰め掛くる実にや稀なる大入りなり、ここに同区相生町四丁目に住む岡田安吉は相撲とさえいえば三度の飯も忘るるという随分の困りものなるが、今日もまた見物せんと朝まだきに家を出で、かねて同行を約せし田村乙兵衛を訪い共々支度を為しけり折から、此の近辺にて芝居好きといわるる桑原又兵衛が朝湯に出掛ける道すがらこの家を覗き、イヤいつになき早起きは何にか儲け口のあるなるべし、半分乗ろうか乗らせずやと笑いながら云うを聞き付けし安吉、何人かと後ろを見れば日頃好きの道を異にしつ敵同士の思いある又兵衛なり、たちまちに大声上げて横出口、損をしようがせまいが大きなお世話黙って行けと云うより早くコハ無礼なる貴殿の御挨拶心得がたしと詰め寄りしが、此の時二人は櫓太鼓の音に引かされ出でんとするを見て又兵衛せせら笑い、ハハ手前達は面白くもない相撲見物か色気もあらぬ奴かなと罵りつつ立ち去らんとなしたり、安吉は悔しさ胸に満ち満ちて今はしも用捨てならぬと取って返し、口で言い争うも果てしなし一番我が腕前を見せ辛き目に遭わして呉れんづと乙兵衛の家に入り、女の前垂れ前に当て時に取っての取り廻し、サア来いと仕切って待てば又兵衛も中に入り何を小癪なと有り合う吹き竹片手に持ち、襷十字に綾取りしは是れ捕っタリを扮せしなるべし、やがて安吉は吹き竹の下を潜りつ相手の左を引張り込み「一本背負」にて決めんとせしに、相撲と来ては一向不案内の又兵衛ただ打って打ちのめすが肝心と所選ばぬ滅多打ち、今は安吉も妙手を施すどころか目もくらむばかり、こりゃ堪らぬと駈け出し筋向かいの派出所へ至りて是れ此の通りアノ又兵衛が打擲しおびただしき出血、御処分仰ぐと息せき切って訴えければ巡査もつくづくと見られしがやがて笑いを失しつつ、汝は気でも違いしかその顔中に流れ居るは汗ではないかと叱り付けられ、安吉は初めて気が付き顔を撫で廻しなるほど左様たかが吹き竹のせいゆえか傷もなし、それでは余り「一本背負い」に力が入り汗の出でしか、何に致せ粗忽の段、平に御免とホウホウの体にて出で行くを尻目に掛けて又兵衛はあくまで気取りし身構えヘェーもろい奴だわいハァハァハハハハハと段笑い、湯屋を指して行き去りしは一昨日の事なりしと。

【横綱】
この時代の横綱は番付上の地位ではなく、横綱土俵入りを披露する免許を授与された名誉職のようなものです。江戸時代は上覧(将軍の観覧)の際に免許を授与されるケースがありました。今回は天皇陛下による天覧が行われる運びとなり、当代の第一人者である梅ヶ谷へ京都五条家から免許が授与されましたので、横綱土俵入りが見られそうです。
【濱の延遼館】
現在の浜離宮が天覧相撲の会場です。剣山が弓持と書かれていますが、実際には剣山の露払い、大鳴門の太刀持ちで土俵入りが行われることになります。
【相撲】
「相撲は平袴を着け・・」と書かれていますが、当時は「力士」という意味でも「相撲」という言葉が使われていました。「お相撲さん」という呼び方は、その名残だと思われます。
【関係者の苦労】
貴重な収入源である巡業を切り上げて損失が発生し、正装や慣れない靴を履くなど、力士・年寄の苦労が書かれています。それだけ特別な大イベントだったということでしょう。
【相撲vs芝居】
最後の記事は天覧とは無関係ですが、相撲ファン岡田と芝居ファン桑原の喧嘩です。竹の棒で殴られた岡田が流血したと思い込んで警官に訴えますが、流れていたのは血ではなく汗だったので、特に事件にならずに終わりました。マワシを締めて喧嘩を挑む相撲ファンと、口が達者で気取った身構えの芝居ファン、対照的で面白いです。

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